[震災レポート]阪神・淡路大震災から20年/東日本大震災から4年―それぞれの現在〈阪神・淡路編〉

2015年03月09日 12:00 カテゴリ:最新のニュース

 

2015年1月17日、阪神・淡路大震災から20年を迎えた。そして3月11日には東日本大震災から4年となる。年を経るごとに復興の文字を目にする機会が減っている。特に、物理的な距離は被災地あるいは被災者への思い、眼差しを減退させる要因となっている。社会が盲目にならず、復興の歩みのなかで文化芸術がどのような役割を担っているのか、あるいは受容されているのか、小紙でもできる役割を微力ながら探っていきたい、と考え現状をレポートする。

(新美術新聞編集部 油井一八)

 

阪神・淡路大震災での文化財レスキューの経験
1月17日に神戸周辺にある芦屋市立美術博物館、神戸ゆかりの美術館、神戸ファッション美術館、BBプラザ美術館、兵庫県立美術館の5館を巡った。阪神・淡路大震災から20年の節目にあわせ、各館では大小様々な震災関連の展示が開催されていた。

 

芦屋市立美術博物館では、小企画展「光の空―阪神・淡路大震災から20年―芦屋」として、同館が行ってきた文化財レスキューによる「写真家・中山岩太の作品と資料」の展示、被災した写真関係者を支援するためにスタートした「阪神・淡路写真ヘルプネットワーク」のボランティア活動の記録、災害復興公営住宅の建設において住民間のコミュニケーションの促進のためにパブリックアートを組み入れた「南芦屋浜コミュニティ&アート計画」「震災と美術」の資料展示などが行われていた。

 

なかでも文化財レスキューにおいて「(震災以前に)調査記録の蓄積などを通じて、地域と美術博物館がどのような信頼関係をつくりあげてきたかがポイントとなる。また一般的には知られていないが阪神・淡路大震災の経験が東日本大震災の救出活動に生かされた」という趣旨の言葉を展覧会リーフレットに寄稿していた元同館学芸課長の河﨑晃一・甲南女子大学教授の言葉が重い教訓として記されていたのが印象的であった。

 

芦屋市立美術博物館入口へのアプローチ

 

堀尾貞治「震災風景 1995年」とコメント「震災のこと」(芦屋市立美術博物館)

 

 

女性の視点で―語り継ぐこと/リレートーク
阪神・淡路大震災は神戸という大都市で被害が集中したことが、大きな特徴としてあげられる。そのなかで、被災地エリアの文化施設9館の担当者が館同士をリレートーク形式でつなぎ、震災を語り継ぐ「阪神・淡路大震災20年・語り継ぐこと/リレートーク」を震災関連事業として企画し、6月まで月1、2回、全9回の予定で行われている。

 

この取り組みは、従来の「館と館」「組織と組織」といった枠組みを超えた「現場の情報交換をしたい」「イベントや展示で連携したい」「蓄積した館の資源を発信したい」と自分たちにできることから、できる範囲でという若手女性学芸員の思いから始まった。震災を風化させてはいけないという、個々の問題意識を含めてこの「女性の視点」は震災の経験を将来へ繋ぐための大きな一歩になる、との期待を感じさせるものであった。

 

 

「震災と美術」を独自の視点で展示
神戸の美術館博物館を巡って感じたことに、各館それぞれが「震災と美術」を独自の視点で企画・展示していたことがある。

 

神戸ゆかりの美術館では、「アーカイブ/港町の情景 時代を語る絵画」(3月22日まで)の展示として震災直後から復興へと向かう神戸の姿を描いた西田眞人らの作品、戦前戦後、昭和30年頃から平成にかけては金山平三、小磯良平、小松益喜らの作品、「神戸ゆかりの芸術家たち」の展示では石阪春生の世界を同一会場で鑑賞した。人災としての戦争と自然災害としての震災ではその意味は大きく異なるが、記録としてあるいは自己表現としての作品が、それぞれに多くの問いかけを鑑賞者に与えるものとして、後世に果たす意味がこのときほど特別なものに感じられたことはなかった。

 

神戸ファッション美術館では、特集展示「衣服にできること―阪神・淡路大震災から20年」(4月7日まで)を見た。我々が日々衣服を選び身に着けるという行為のなかで得ているものは何か。日常ではファッションとして色や形、素材を選択し、身体に寄り添うことでリラックスしたり、装う場面では緊張を伴う。一方、災害時は厳しい環境から身を守るものとして、ファッションデザイナーの津村耕佑は「家をなくしてしまったとき、人を最後にプロテクトするのは服になる」というコンセプトで「FINAL HOME」という衣服と、空気緩衝材のパーツを組み合せ震災や災害時における避難先ではプライベート空間の確保や収納ケースとしての箱にも応用できる「Puzzle Ware」を紹介。衣服造形家の眞田岳彦は、稲と食糧環境問題などをテーマに素材にお米を使い、衣服にもなり、衣服を広げれば一枚の布として、避難先での間仕切りやテント、敷物の役割を果たす「Prefab Coat」(先端技術のテキスタイルを素材に用いPrefabricated Coat=組み立てるように予め制作したコートウェア。心を包み、人と人とをつなぐ衣服)というシリーズを紹介。衣服とは何かを再認識するとともに、衣服の常識を打ち破る強烈なインパクトを与えられる展示であった。

 

神戸ゆかりの美術館・神戸ファッション美術館の外観

 

「アーカイブ/港町の情景 時代を語る絵画」の展示より(神戸ゆかりの美術館)

 

眞田岳彦の新作「Prefab Coat Rice KOBE」(神戸ファッション美術館)

 

津村耕佑のFINAL HOMEとPuzzle Wareによるインスタレーション(神戸ファッション美術館)

 

BBプラザ美術館では「震災から20年 震災 記憶 美術」として堀尾貞治、栃原敏子、WAKKUNら13人と1組の作家が震災直後から、あるいは時の経過のなかで向き合い続けた思いを、平面、立体、インスタレーションなどそれぞれの表現で制作した作品が展示されていた。震災の記憶は一人ひとり異なり、表現者である作家、鑑賞者においての受け止め方も様々である。その異なる表現の数々に出合うとことができ、多様さを享受した。

 

兵庫県立美術館では「阪神・淡路大震災から20年」を3部構成で紹介していたが、最も印象に残ったのは第1部「自然、その脅威と美」であった。作品は黒田清輝「桜島爆発図」シリーズ(1914年・鹿児島市立美術館蔵)や片岡球子「火山(浅間山)」(1965年・神奈川県立近代美術館蔵)など。まさに自然の脅威と美を肌で感じ描かれた作品には、自然を崇め生きてきた日本人の原点を再認識させられた。

 

「震災から20年 震災 記憶 美術」の会場入口をデザインした作家のWAKKUNと会場風景(BBプラザ美術館)

 

「震災から20年 震災 記憶 美術」の展示より(BBプラザ美術館)

 

〈東日本編〉に続く

 

 


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