【団体】 独立美術協会展70回記念座談会 (「新美術新聞」再録) 〈2〉

2012年10月09日 17:38 カテゴリ:その他ページ

 

 

 

直感的に共感

 

宝木 馬越先生は独立が一番元気だということを体現されているような絵ですが、最初、文学の勉強をされてから芸大へ入り、出品されたというちょっと他の方とは違うステップを踏んでいらっしゃいますね。

 

馬越陽子氏(まこし・ようこ) 1934年東京都生まれ。64年独立展初入選、72年会員となる。

馬越 私はかなり頭でっかちな出発をしました。女子大在学の頃、頭の中にあるものが文章ではなく、どうしても絵にしかならないということをひしひしと感じて、それを表現するテクニック、自分の腕が欲しかったのです。新樹会の原勝四郎さんから、そのためには芸大へ行きなさいと勧められました。

なにしろ下手なものですから入れるまで頑張ろうと決心したら、父も覚悟があるなら何年浪人してもいいといってくれました。

その頃に林先生の「梳る女」が毎日芸術賞を受賞されました。その作品には深く動かされるものがありました。それで入学したらとにかく林教室に行きたいと最初から決めていたのです。マンツーマンで自分の作品を見ていただける、と熱望していましたから何がなんでもということです。

 

宝木 女子学生に対して優しかったですか。

 

馬越 優しかったと思いますが、というか、抽象を描いている方のところは素通りでした。私は具象を目指していましたので、具象の人のところはよく見て下さいました。不思議なもので何もおっしゃらなくてもその顔つきや目つき、様子でいいか悪いかわかってしまうのです。その無言の「これでいけ、これはいかん」という一言か二言のために必死になって描いているという学び方でした。

 

第70回記念独立展 馬越陽子「人間の大河―戦争と平和―」200号

宝木 林先生にずっとついていくということで独立へ。

 

馬越 ついていくというより、独立には林先生をはじめ鳥海青児、海老原喜之助など直感的に共感できる先生が多くいらっしゃいました。そういう場で武者修行をしてしごかれないとダメだと思っていました。絵の仲間を求めて…

 

宝木 大津先生は、芸大では山口薫さんの教室におられたわけですが、独立へ出されるというのは、決意が必要だったのではないですか。

 

大津英敏氏(おおつ・えいびん) 1943年福岡県生まれ。69年独立展初入選、73年会員となる。

大津 山口先生には、専門課程の3、4年と大学院1、2年で教わりました。二年の時に亡くなられましたが、先生は、君の絵はモダンアートとは合わないだろうから、出さなくてもいいのではないかとおっしゃいました。私が独立に出品したのは先生が亡くなった後です。

その頃コンクールに応募という形で出していたのは、毎曰新聞社主催の現代日本美術展で、隔年でしたから学部の4年の時と大学院の2年の時の2回ほど出しました。

先生が亡くなって自分の絵のことを考えると、やはり絵の仲間が欲しいなというのが一つと、もう一つは林先生はじめ創立会員の先生方の個々の人間的な魅力。それぞれタイプが違っていて、それが独立全体の魅力になっていたのではないかと思っていました。それでやはり自分の好きな先生方のおられる独立展へ出したいということで始めたのです。

 

宝木 山口先生はご自分の立場をクールにわかっていらして大津先生にアドバイスされたという感じですね。モダンアートは村井正誠さんをはじめとする抽象の人たちが中心になっていますから。その意味で独立の中でお友だちができて、切瑳琢暦するという点では非常に有効だったということですね。

 

大津 自分が師事した先生が同じ会にいらっしゃるということは、非常にうらやましいとも思いましたが、私としては独立展を自分の道場のようなつもりで毎年取り組んできたつもりです。

 

 

次世代へ若手を育成

 

第70回記念独立展 大津英敏「フランス物語」200号

宝木 独立美術協会という美術団体について考えてみると、パリの一番新しい流れを日本に定着させるという近代洋画の動きの中で、創立会員の方々は二科をはじめとするいくつかのグループからの寄り合い所帯みたいなところがありました。一九三○年協会の発足以後、活発な動きが展開されて、今日では非常に大きな勢力を持っている。次世代の方々も伸びてきているし、今後の展望を持てるグループとして今70回展を迎えることができるという気がします。現状と展望はいかがでしょうか。

 

奥谷 制作意欲のある会員の人たちが多いので非常にいいことだと思うのですが、一昨年終わった馬越さんの独楽の会や、来年1月29日から開催されるEVOLUTION16など、もう一世代下くらいまではいいのですが、そのもうひとつ下の世代を何とか育てていくようにしておかないと、行き詰まってしまうと思うのです。

勉強会や批評的なことでも話し合っていくうちに後輩と先輩との間に横のつながりができていくと思います。独立はみんな平等だということになっていますが、やはり後輩というのは面倒をみていかないといけないという気がしています。会員になり立ての頃はそういうゆとりがない、自分のことで精一杯ですが、この年齢になってくると、独立に愛着が出てきますし、できることはしてあげなければいけないという気持ちになってきます。

育てるというとちょっとオーバーですが、後輩の面倒を見ていくことが一番大切なことだと考えています。

 

宝木 例えば奥谷先生が林先生の後ろ姿を眺めて歩いた頃を考えてみると、今は、目茶苦茶な個性で行動していくという時代ではなくなりつつありますね。美術界も非常に落ち書いて安定した形になってきている。その中で独立のイキの良さをなおかつ維持していかなければいけない。若い世代の絵を見ていると、上手でソツのない絵が増えつつある気がしますが、下手でも元気一杯、という絵を採り入れることは今後でさないものでしょうか。

 

 

「これはいいぞ、とれ」

 

奥谷 例えば一部ですが、個展とかグループ展などで売れ筋の絵を描く技術が先に立っていますね。もちろん売れないよりは売れたほうがいいのですが、心の問題ですからもうちょっと純粋な気持ちで、自分が描きたいものを描きなさいと、若い人には言っています。

独立は、90人の審査員の半分の人の手が挙がらないと入選しないのです。自分がいいと思う作品に手を挙げたいと思っても、最初に意見が言える段階というのは、20人ぐらいの手が挙がらないと駄目なのです。そのへんに公募展の平均的な審査の方法の問題がありますが、昔のように「これはいいぞ、とれ」という感じでいくと、もっと面白いものが出てくるかも知れないですね。

 

第70回記念独立展 林敬二「光る樹のなかの肖像」200号

宝木 やはり戦後の横並び社会というか、平等化意識が団体展の自由な活動の足を引っ張っていますね。

 

奥谷 技術的に非常に上手い人だと思って指導しても、作品から離れていったら何も残らない。無茶苦茶に描いていても心に残るような作品を作る人が現れて欲しいですね。一人か二人は出てくると期待しているのです。

 

馬越 独立は、その当時の画壇にもう一つ別の新しい力を結集したいという社会の中から必然的に出てきたのであって、やりたいことを思う存分にやる会というのがモットーだったと思います。自分のやりたいことを何年も続けていれば絶対に認める人が出てくると思うのです。若い人には、周りを見るのではなくて自分の中にどこまでも沈潜して、自分はこのために生きているというものを見せてほしいと思います。

 

宝木 馬越さんが、女性に社会的な束縛が結構あった中で、文学をやりまた美術をやりというのは、確かにご家庭の理解があったにしても、かなり決断のいることではなかったですか。

 

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