【団体】 独立美術協会展70回記念座談会 (「新美術新聞」再録) 〈3〉

2012年10月09日 17:38 カテゴリ:その他ページ

 

 

 

万難排しても自分の道

 

馬越 決断というより自然な道でした。頭の中に絵が出てくるのでそれをやるしか自分の道はないということだけでした。それは今も続いています。絵が売れるということも必要なことですが、それだけではないもっと絵の根っこの問題、作品と自分の人生との関わり合いや一生を通じての自分の使命というところからの覚悟があれば、万難を排しても一つの自分のアイデンティティーを作り上げていけると思います。

 

宝木範義氏(たからぎ・のりよし) 1944年東京都生まれ。美術評論家、明星大学教授。

宝木 大津先生からは、銀座の裏通りの店で学生たちと開かれていた会に誘っていただいたことがありました。あの時にいた人たちで今でも絵を描いている人はいるのですか。

 

大津 今でも絵を続けている人も結構います。この間指導した学生も割りとよく入選を果たしてくれていますね。

多摩美術大学に行き始めて14年目、独立の会員になってから来年30年目ぐらいになるのですが、大きく分けて15年は会に対して怠け者でした。後の15年は、少しはやっているかなと自分では思っています。

多摩美に教員として勤務して、初めて私が教わった先生たちの気持ちが理解できました。先ほど道場と言いましたがそれにこだわり過ぎて、悪く言えば自分の仕事がよければそれでいいのかな、と。仲間が欲しいといいながらも、その仲間とのやりとりということを少し怠っているのではないかということに初めて気が付いたのです。学生たちに独立展に出すことを表立って勧めることはできない立場ですが、学生たちが出品し始めたら、やはり見てあげなければいけないな、ということを遅ればせながら自覚しているところです。

 

宝木 今日お揃いの方々は皆さん東京芸大出身ですし、独立展の出品者も芸大を含む美大出身が増えているようですが、近代の美術教育の流れが独立の中で一体化しているということが言えそうです。そのことについてはいかがでしょうか。

 

第70回記念独立展 今井信吾「森に還る庭」200号

奥谷 最近は芸大の出品者が意外に少なくなっているような気がします。

芸大の学生の例でいいますと、絵で食べるということがわからないのです。僕は何十年も絵で生きてきたのだ、ということがどういうことかわからないのです。作家の心、喜びや悲しみを与えて生きてきたのだということが。そういう話をしてやると非常に興味を持って聞いてきます。そんな夢みたいなことがあるのですか、と。そのかわり苦しいこともある。だけど本当に表現することが好きだったから非常に楽しい。君たちは大学を出て会社に就職する人もいるだろうし先生になってやっていく人もいるでしょうし、いろんな分野にいくのでしょうがそれはそれでいい、だけど芸大というところに入ったのだから一人か二人は作家になって欲しい、と言っているのです。

公募団体というのは自分をアピールできる場としては一番手短かですから、そういう意味で独立なんかに出してくれるといいな、と思うのですが、このところそれが減ってきているのが心配ですね。

 

 

薄れる創立時の意志

 

第70回記念独立展 齋藤研「○△□」200号

宝木 独立がスタートした当時は、帝展に対抗する勢力として二科があり、その二科に対抗する勢力としてさらに新しく独立が出てきた。塀を壊そうという活力が独立にあったわけですが、今はその塀がどこにあるのかよくわからない、そういう時代に若い人たちはどういうふうに自分を展開していったらいいのでしょうか。

 

絹谷 公募展自体が、創立者が持っていた野蛮性を失ってきたというか、未来性を見出せなくなっています。それに絵画離れというか、絵画というのは平面に立体を描いたり水を描いたりするという嘘の世界なのです。ところが実際に水を床に引いたり、コンクリートを実際に自然の中に建てたりするコンテンポラリーは狭義の世界に入ってきています。

平面の世界は、例えば富士山を小さいサムホールに入れるとか、水があるように描くとか、水はそこからこぼれないわけです。絵空事の世界なのです。そういう嘘のイメージ、夢のような世界というのをもっとつきつめていけば、最高は、天国があるという宗教の世界になります。その次にくるのが絵画の世界。それが触れることのできる世界になってきた。彫刻はちょっとそれに近いのですが、要するに嘘のない世界になってきているということは精神の世界がなくなってきているということなのです。

私はそれを“嘘力”と言っているのだけれど、その嘘力の世界がなくなると同時に信心の世界もなくなってきている。どんな描き方で描くにしろ、平面の世界は精神の世界なのですが、それが即物的になってきていますね。

 

 

女流の中でも一目

 

宝木 独立へ話を戻しますが、馬越先生、女流画家協会でも、独立の方々が重要なポストで活躍なさっていますが、やはりそれは独立の出品者と周囲から認められているからでしょうか。

 

馬越 個人的には、秋が独立で、たまたま春に女流展があるから出しているのですが、やはり独立の作家というふうなことで皆さんが見ていらっしゃるのだなということを、いろいろなところで意識することはあります。

 

宝木 さて、そこで絹谷先生の話にもあった、創立当初の画家たちの精神は今どのように受け継がれているか、また今の屋台骨を支えているのか、奥谷先生、いかがですか。

 

奥谷 先だって、東京学芸大学に独立関係の資料があるというので見に行ったのです。創立当初や三○年協会のポスターなどが一杯あって、当時の雑誌も大切に保存されていたので驚きましたが、ポスターを見ているだけで、当時の熱気やパワーが感じられて、その頃は本当にすごいものがあったのではないかと想像しました。

ある時、在野精神とは何ですかときかれたことがあります。今のわれわれの考えだと、創立会員の精神というよりも、権力とか何にもとらわれない、屈しない自由な心というか、作家一人一人として負けたくないという気持ちがあると思うのですが、そういう個人の意識から団体に繋がっていくのではないかと思います。活気やエネルギー、若々しい会として見られるのは、独立の底にかつての精神が今も流れているからではないでしょうか。

私が独立に出し始めた頃「君は独立に向いてないよ」と言われたことがありますが、公募団体というのはそういうものではないと思うのです。いろいろな人の個性が響き合って一つの会になっていく、独立はフォーヴ系と言われていますが絵の傾向だけでそう語るのはちょっと違うと思います。

 

第70回記念独立展 福島瑞穂「MEMENTO-MORI」200号

絹谷 絵柄が写実的であろうがフォーヴであろうが、絵の意味合いという点で、奥谷先生が独立的でないとは言えないと思います。

 

宝木 画家一人一人の、いい絵を描くということに対する執着、エネルギーがどういう風に表わされるか、そしてその全体が団体としてどういう風に集約されるかにかかってくると思います。

 

絹谷 ただ、個人の色合いというのがちょっとなくなってきました。絵そのものもそうですが、鳥海先生がパチンコ好きで古美術が好きだとか、林先生の趣味、嗜好とか、絵描きである以前に個人の色合いを謳歌していた、しかもそれがそれぞれ違っていて燗漫であった、という感じがあるのです。今は一般的に見ても、例えばゴルフしかないというように、無印良品というか、人生の楽しみ方の幅がみんな同じになってしまって、団体としてはまとまる力になるのでしょうが、個人個人に解きほぐしていくとみんな平均化されてきた。そのへんがほどけてくると、個の中の集団というのがもっと力を得てくるのではないかという気がします。

 

馬越 最近独立の会場に入りますと似たような傾向の一群があるのです。何か独立イズムというものが最初に頭にあって、作るということにおいてちょっとそれを勘違いしているのではないかという気配を感じています。もっとインディヴィジュアリズムというか、もう少し掘り下げることによって、自分自身の中に潜んでいる野性的で根源的なパワーが、掘れば掘るほど井戸水のように湧き出てくると思います。

会のイズムみたいなものは忘れて自分自身と対決する。ものを作るというのはそういうところからしか力を得られないと思うのです。そのへんが非常に不満なところですね。

 

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