【ニュース】「バーネット・ニューマン 十字架の道行き」展 ゲストキュレーターに大島徹也氏

2014年12月12日 11:00 カテゴリ:最新のニュース

 

アジア初の画期的な試み、来春公開

 

バーネット・ニューマン《十字架の道行き》展示風景(1986年6月4日―11月15日「七人のアメリカの巨匠展」より)
Photo by Kathleen Buckalew. National Gallery of Art, Washington, Gallery Archives

 

来年3月にMIHO MUSEUM(館長:辻惟雄)で春季特別展「バーネット・ニューマン 十字架の道行き」が開催されるのに伴い、メディア向けセミナーが11月17日に東京・大手町で行われた。

 

会場には辻館長のほか、同展ゲスト・キュレーターの愛知県美術館主任学芸員・大島徹也氏、同展と同時開催される「曽我蕭白『富岳図屏風』と日本美術の愉悦」を担当する同館学芸員・岡田秀之氏が出席。2つの展覧会について、セミナー形式で詳細を紹介した。

 

「バーネット・ニューマン 十字架の道行き」展はジャクソン・ポロックやマーク・ロスコらとともにアメリカ抽象表現主義の中心的存在として知られるバーネット・ニューマン(1905~70)の後期連作であり、傑作として称される「十字架の道行き」14点、および「存在せよ Ⅱ」を日本で初めて公開するもの。辻館長は今展実現の経緯について、「通常、ワシントン・ナショナル・ギャラリー(以下NGA)に展示されている同作だが、このたび同館のリフォーム休館にあたり、館から直接展示の打診があり、実現に至った。またNGAとMIHO MUSEUMは設計が建築家I.M.ペイであるという共通項があり、今展実現のきっかけの1つともなっている。また作品に必要な保険料もNGAが全額負担となる」と説明。またゲストキュレーターを招へいしたことについては「当館は現代美術、特にニューマンに詳しい学芸員がいない。そこで大原美術館館長の高階秀爾氏に紹介してもらい、大島氏にお願いすることになった」とした。

 

今回、ゲストキュレーターとして展覧会を担当する大島氏は愛知県美術館主任学芸員として2011年~12年にかけ同館で開催された「生誕100年 ジャクソン・ポロック展」(東京国立近代美術館に巡回)を企画。その功績が認められ、第7回西洋美術振興財団賞・学術賞を受賞している。

 

 

■大島氏が語る「バーネット・ニューマン 十字架の道行き」展

 

《十字架の道行き》とはキリスト教美術の伝統的な主題の1つです。キリストが死刑を宣告されてから、ゴルゴダの丘で磔刑に処され埋葬されるまでの一連の物語を描くというものです。ですのでこれはニューマンが始めたものではなく、古くからあるもの。最もポピュラーなものは14の場面でその道行きを表現するもので、現代においては15番目として「復活」のシーンが含められることもあります。

 

 

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ニューマンの仕事における《十字架の道行き》の位置づけですが、代表作の1つと言っても過言ではありません。さらに後半期における中核をなす作品でもあります。この連作が描き始められたのは1958年2月(53歳)。前年11月に心臓発作を起こし、6週間の入院を経験した後のことでした。ニューマンにとって同作は前半生を終えて、心臓発作から回復し、「復活」を飾ることになった作品としても位置づけられると言えます。完成したのは66年(61歳)。同年、ニューマンはグッゲンハイム美術館で「十字架の道行き:なぜ神は我を見棄てたもう」を開催することになりましたが、それはニューマンにとって美術館での初個展でした。記念碑的な個展でニューマンは《十字架の道行き》のみを展示しました。ここからニューマンの人生と芸術にとって、いかにこの作品が重要な意味を持っていたのかということが読み取れます。

 

その4年後、70年に65歳で急逝しますが、彼が生涯に残した作品数は329点、うちペインティングは118点。すなわち14点+1点からなる《十字架の道行き》は総作品数において20分の1、ペインティングに限ると10分の1以上を占め、数量的な点においても重要な一角を占める作品なのです。

 

58年に最初の2点(後の《十字架の道行き:第一留》と《十字架の道行き:第二留》)を作りましたが、その時点では《十字架の道行き》というテーマに取り組む明確な目的というのはありませんでした。ただその時彼は「私は何らかのシリーズをつくるだろうということを感じた」と後に言っています。そして4番目の作品を作っているとき彼は「私に“叫び”を思いつかせた。この抽象的な“叫び”が事の全て、キリストの受難全体であると思い立ったのだ」と語っており、ここで「14点の連作」というプランが固まったのです。最終的に66年までに14点一式をつくりあげ、いったんこの作品は完成します。その後61年と64年に制作した《存在せよⅡ》が14点に関係してくることになります。

 

この《存在せよⅡ》は1961年に《十字架の道行き》とは無関係に制作され、完成した作品です。ニューマンの友人が《復活》というあだ名をつけてみようと提案し、名づけられました。しかしその後、64年にニューマンが最後の仕上げを施し、本当の完成をみたのですが、《復活》というあだ名をやめ、正式に《存在せよⅡ》というタイトルをつけました。66年のグッゲンハイムでの個展の際、彼は「なぜ我を見棄てたもう(レマ・サバクタニ)」という副題をつけています。これはキリストが磔刑に処される場面で放った嘆きの言葉です。その個展において、もともとは関係なかった《存在せよⅡ》を《十字架の道行き》に加え、展示し発表しました。

 

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この「存在せよ」という言葉はユダヤ教における神の命令として知られている言葉です。キリスト教的なテーマである《十字架の道行き》の最後に、ニューマンはあえてユダヤ教的な作品を持ってきました。様々な解釈を引き起こす点です。ニューマン自身はユダヤ教の家庭に生まれ、ユダヤ人の血を引いているということでユダヤ人の文化を非常に誇らしく思っていたと言われています。私自身はこの点に関して、決してこの作品をユダヤ教に染め上げて提示しようということではなく(自らにとって一番所縁のあるものを持ってきてはいるものの)、「宗教・地域・信念の違いといったものを超えて、私たち人間全体に通じる問題として提示したい」という想いがあったのではないかと思います。

 

最後に本展の意義、見所についてお話しします。本展は66年のグッゲンハイム以来、世界で半世紀ぶり、そして日あるいはアジアでは初の《十字架の道行き》展となります。その点だけでも、この展覧会が世界のモダンアートの美術展の歴史において、大きな1ページとなる展覧会であることは間違いありません。今回は通常企画展を行う場所ではなく、あえて地下1階の一角に展示することにしました。時代や地域を超えて優れた芸術のみが持ちうる精神的な高み、この一点において、《十字架の道行き》を展示する環境としてはこれ以上ない環境です。世界から注目される展示となることに間違いないでしょう。

 (取材・テキスト:橋爪勇介)

 

■十字架の道行き

 

 

 

 

 

 

【会期】2015年3月14日(土)~6月7日(日)

【会場】MIHO MUSEUM(滋賀県甲賀市信楽町田代桃谷300) TEL 0748-82-3411

【関連リンク】MIHO MUSEUM 

 


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