[通信アジア]デザイン展とは:青木保

2021年03月16日 17:00 カテゴリ:コラム

 

佐藤可士和展会場風景。5月10日まで開催中。

佐藤可士和展会場風景。5月10日まで開催中。

 

あらゆるものが今やデザイン次第である、といっても言い過ぎではないような気になってしまう。いや、そういうよりデザイン次第の時代にならなくてはならない。世が画一的なデザインの時、人々の生きる自由は損なわれ一方的な方向へと人間も社会も従わされる。

 

そこでデザイン、いまや日常においても欠かせない。ファッション、靴やバッグや衣服、車や新幹線から街づくり、ビルや店、個人の生活や人生まですべからくデザインが必要だ。

 

そのうち私なりの「デザイン文化論」を書いてみたいと思っているが、いまここでは美術館におけるデザイン展覧会の事である。

 

このところのコロナ自粛生活で美術館へ行くのもままならず見逃してしまった展覧会も多い。とりわけ昨年東京オペラシティアートギャラリーで開催された京都服飾文化研究財団による「ドレス・コード?―着る人たちのゲーム展」に行けなかったことは残念である。

 

この展覧会、今年ドイツ・ボンのドイツ連邦共和国美術展示館へ巡回するとのことなのでコロナが収まれば(希望的観測でしかないが)行けるかもしれない。この美術展示館はコレクションを持たない館であり、国立新美術館と似ているので先年訪れたこともあるし、館長さんが来訪されたこともある。両館の連携などもっと強くしたらどうかと思うが、こちらはマンガ展をしないかと言いに行ったのである。

 

それはさて置き、いわゆるファッション・デザインについてはアートとしてだけでなく社会的・経済的・国際的そして現代を生きる個人の問題としてもっと本格的な議論が必要であるのに、議論がない。日本が世界に誇る文化なのだ。とともにコマーシャル的な意味も含めたデザインに関しても議論が求められる。

 

佐藤可士和氏は日本を代表するデザイナーであるが、これまで彼が手掛けたデザインのほぼ全貌が見られる展覧会がいま国立新美術館で開催されている。この美術館のロゴも佐藤氏の作になるものである。展覧会を一巡すると、このデザイナー ――その仕事の分野の広さからもクリエイティブディレクターと呼ぶらしいが、私はその重要性からあえてデザイナーと呼びたい―― のデザインの素晴らしい広がりが感じられて、ある種爽快な気分にさえなる。しかも、その作品は現代を生きる人間にとっての指標とさえなっていることが分かる。確かに今の社会は各種ロゴに取り囲まれているし、またロゴが無くては生活が成り立たない面があるのを否定できない。

 

佐藤氏といえばまずロゴが浮かぶ。ユニクロや楽天、今治タオルにセブンプレミアムなど一見して分かる数多くのロゴ。またポスターの数々。江戸時代の「奇想の画家」若冲などを「前衛」と位置付け再評価した辻惟雄氏が、それらに連なる「奇想」は現代ならマンガやポスターなどに見られると指摘しておられるが、佐藤氏の作品にも十分その傾向がみられると思う。

 

私が素晴らしいと感じたものは多いが、例えば「ユニクロ ソーホーニューヨーク店」などソーホーの古いビルに一面をロゴで覆って世界を一変させている。また「有田焼創業400年事業」に出した陶器の魅力。セブンイレブンの商品も扱っていて、ここではとても触れきれないが、この展覧会、佐藤氏の現代人の生活全般をカバーするような、それこそクリエイティブなデザインの仕事に魅了されるうちに「いまを生きる自分の無デザイン性」に気付かされる。そして思わず「この先に何があるのだろうか」と考えさせられずにはおかないのである。(政策研究大学院大学政策研究所シニア・フェロー)

 

佐藤可士和氏がデザインした国立新美術館ロゴの展示。

佐藤可士和氏がデザインした国立新美術館ロゴの展示。

 


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