富井玲子 [現在通信 From NEW YORK] :NYの名古屋3人組(マイナス1)

2023年11月22日 10:00 カテゴリ:エッセイ

 

スタジオの桑山忠明、1967年

スタジオの桑山忠明、1967年

 

NYの名古屋3人組という言い方があることを最近知った。1950年代後半から60年代半ばにかけてNYに定住することになった名古屋出身の作家たちだ。到着順に桑山忠明、荒川修作、河原温の3人となる。

 

これは、なかなかのネーミングだ。

 

それぞれにNYで独自の表現を展開して国際的な評価を得るにいたった。グローバル化したコンテンポラリー・アートの輝かしい先駆者たちで、その彼らをローカルな「出身地」という視点で歴史に繋留する。私たちの眼はおのずと、彼らの栄光だけではなく、その表現の出自へもいざなわれる。

 

はからずも、このうち二人の個展が11月に少し重複して展観される。

 

スタジオの桑山忠明、1959年

スタジオの桑山忠明、1959年


一つは9月からキャステリ画廊で開催している「Arakawa—A Line Is Crack」(~11月17日)、もう一つはマールボロ画廊で11月9日にオープンする桑山のメモリアル展(~2024年1月13日)だ。

 

去る8月20日に享年91歳で他界した桑山は、1958年9月に妻で作家の内藤楽子と共に渡米。東京藝大では日本画の専攻だったが、ミニマルな色面絵画を60年前後という早い時期から手掛けている。

 

メモリアル展は、その最初期の作品から紹介するが、その当時の桑山を見せてくれるカラー写真がある。

 

59年撮影で、高さ2メートルはあろうという青を基調とした大作の前においた脚立に腰かけている。作家の服も青で統一されて、まさに感動的な「青の肖像」だ。

 

画面下方に青い滴りが白い紙(あるいは銀箔)の上に滝のように流れている。布の上に麻紙を貼り、粉絵具を使う日本画手法だったはずで、日本画でも滴るのだろうか。

 

素朴な質問が心に浮かぶ。そうだ、と思い出して、日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴのためにしたインタビューをオンラインで確認する。

 

粉の顔料を膠(にかわ)でなくアクリルで溶く。湿度の低いアメリカでは膠はひびが入るからだ。画面は何重にも日本画のように塗り重ねていくが、粒子感が残る液状の絵具は紙(後には綿布)の織目に引っかかって独特の質感を作るのだと解説がある。滴る絵具はごく薄く溶いた絵具で意図して演出したのだろう。

 

荒川修作〈無題〉1964‐65年 アクリル、アクリルスプレイペイント、鉛筆、色鉛筆、写真製版イメージ、木パネル、傘、漏斗、カンバス 205.7 x 160 cm Photo by Adam Reich. © 2023 Reversible Destiny Foundation

荒川修作〈無題〉1964‐65年 アクリル、アクリルスプレイペイント、鉛筆、色鉛筆、写真製版イメージ、木パネル、傘、漏斗、カンバス 205.7 x 160 cm
Photo by Adam Reich. © 2023 Reversible Destiny Foundation


もう一人の荒川は、61年12月に渡米して64~71年にドワン画廊で発表をしている。今回の個展は60年代作品の変遷を見せる。

 

荒川と言えばデュシャンで、やはりオーラル・ヒストリーのインタビューをしたときには、いくつものデュシャンとのエピソードをお聞きした。

 

今回の個展では、アメリカの作家たちとの繋がりを考えるエッセイをNYU教授のジュリア・ロビンソンがカタログに寄稿している。たとえば、小野洋子が借りていたチャンバース通112番のロフトを、ロバート・モリスもサブレットしていた事実があり、荒川の作品を背景に二人がスタジオで一緒に写っている写真が紹介されている。二人とも箱を使った作家だけに、今後より深く研究されるべきトピックの一つだろう。

 

 

荒川修作とロバート・モリス、チャンバース通112番地のスタジオにて、1963年 背後に傘と漏斗を付けた〈無題〉作品が見える。

荒川修作とロバート・モリス、チャンバース通112番地のスタジオにて、1964-65年頃 背後に傘と漏斗を付けた〈無題〉作品が見える。
Artwork by Arakawa © 2019 Reversible Destiny Foundation

 

≫ 富井玲子 [現在通信 From NEW YORK] アーカイブ

 


関連記事

その他の記事