[新美術時評] 美術と教育〈11〉稲庭彩和子

2013年12月11日 17:10 カテゴリ:エッセイ

 

アートが促す「参加」と「包摂」

 

稲庭彩和子(東京都美術館学芸員、アート・コミュニケーション担当係長)

 

今の社会で、人々がもっとも関心ある、解決しなければと感じている事のひとつは「それぞれの人が社会生活の中で簡単に孤立してしまいやすいこと」ではないでしょうか。あの3月11日の大震災以降ニュースなどを聞くたびに、私たちはそのことを随分と考える機会がありました。

 

保育園児向けプログラムで子供に話かける筆者

保育園児向けプログラムで子供に話かける筆者

人々が互いに孤立しないために重要な事は2つあります。ひとつは誰かと関わる機会を持ちつづけること、つまり「参加」をする事。そして2つ目は、参加を楽しむ感性を発展させ、今度は参加を誘う「つなぎ手」になることです。このつなぎ手となる心持ちを持った人々が世の中に増えたら、私たちの不安はもう少し減っていくのかもしれません。

 

ただ、参加する事が大切だとわかっていても、人々のライフスタイルが多様化する中で、その多様性を受け止め合えるような「できれば義務的でない」「自然と対話が生まれる」参加の場や機会があるかといえば、そう多くはなく、人々は自分の足元を強くするような、新しいコミュニケーションの回路を求めつつも、使い慣れた回路のなかでたたずんでしまうことがあります。

 

今夏行われた「ルーブル美術館展」で展示室を冒険するアート・エデュケータと子供たち

今夏行われた「ルーブル美術館展」で展示室を冒険するアート・エデュケータと子供たち

そこでアート、そして美術館の出番です。アートや美術館の存在意義のひとつは、人々の営みの多様性を担保することです。美術館で行われる展覧会は、古今東西の人間が生み出した創造物を丁寧に見せながら、人間のさまざまな価値観から生まれた営みを肯定しつつ、検証する試みでもあります。その美術館の性質を活かして、美術館を拠点に多様な価値観を受けとめ合う、新しい参加の回路づくりを目指す活動を、東京都美術館がリニューアルを機会として、隣の東京藝術大学と連携し、始めました。

 

そのひとつ「とびらプロジェクト」では、一般から募った約120名の市民がアート・コミュニケータ(愛称:とびラー)として、ユニークな活動を展開しています。とびラーは無償の活動ですが、彼らは美術館のサポーターという位置づけではなくプレイヤーです。美術館の学芸員や大学の教員とともに、美術館を拠点として、文化や社会への「参加の回路」を作っていく主体的なつなぎ手になります。これまで学校と連携した授業「スペシャル・マンデー」や、誰でも参加できる「あなたも真珠の耳飾りの少女」「とびらボードでGO!」や、障害のある子も無い子も一緒に造形や鑑賞活動をする「のびのびゆったりワークショップ」など、様々なプログラムはとびラーがプレイヤーになる事で生まれてきました。(詳細は「とびらプロジェクト」や「Museum Start あいうえの」で検索し、各ウェブサイトでご覧下さい)とびラーの働きは、社会への主体的な参加のあり方の一形態であり、さらに3年任期で卒業ののちは、また別の形でそれぞれがコミュニケーション回路を作る、つなぎ手になることが目指されています。

 

東京都美術館でアート・コミュニケータとして活躍する「とびラー」の皆さん

東京都美術館でアート・コミュニケータとして活躍する「とびラー」の皆さん

では、美術館がなぜ新たなコミュニケーション回路をつくるのにプラスに働くのか?と考えてみます。作品には作った人の主体的な思いが宿り、またそれを誰かに伝えようとする別の人の主体的な意志が積み重なって、美術館に展示される展示物となります。つまり展示作品には、この世へ自ら参加していこうとする主体的なエネルギーが幾重にも重なって宿っているのです。そうした展示物が何千年も前の人々の生きる力を現代の私たちまで届けることもあれば、今を生きるアーティストの生々しいエネルギーを伝える事もあります。私たちは展示室で、作品を視覚だけで鑑賞しているようで、実は作品から発せられるそうしたエネルギーをシャワーのように浴びているのかもしれません。パワースポットのような美術館が、人々の主体的な「参加」を誘う場となり、また社会を「包摂(ほうせつ)する」、つまり人々を新しい形でつないでいく力に必ずなると、今、とびラーと共に動きながら感じています。

 

【関連リンク】

とびラー募集! 詳細はこちら

東京都美術館×東京藝術大学 「とびらプロジェクト」フォーラム 参加申込受付中

 

 

 「新美術新聞」2013年12月11・21日号(第1331号)2面より

 

 


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