[通信アジア] : 関渡ビエンナーレ、我が道を行く = 黒田雷児

2012年12月08日 20:00 カテゴリ:エッセイ

 

関渡ビエンナーレ、我が道を行く

 

黒田雷児(福岡アジア美術館学芸課長)

 

 

関渡美術館 (筆者撮影)

台湾の国立芸術大学といえば、台北芸術大学、台湾芸術大学(板橋)、台南芸術大学である。そのうち台北芸大は今年で開校30周年にあり、その記念イベントの一環として、台湾で最初の大学美術館である関渡(クアンドゥ)美術館で開かれているビエンナーレを見てきた。ちょうど台北市立美術館での台北ビエンナーレ、国立台湾美術館(台中)での台湾ビエンナーレなど大規模な展覧会のシーズンで、これらと比べると関渡ビエンナーレは小規模だが、独自のスタンスで好感がもてた。

 

同ビエンナーレは2008年に始まり、今年は「芸想世界」(Artist in Wonderland)というテーマで開催。屋内の展示空間は1440㎡しかないので、作家数は10人だけであるが、一貫してアジア地域(一人だけオーストラリア)の作家だけを紹介していることが特徴である。同館の館長も学芸員もアーティストであり、美術館側で直接作家を選ぶときには、選ばれた出品作家のほうがキュレーターを選ぶことがあるというのも興味深い(外部の機関・キュレーターの推薦から選ぶ方式との組み合わせ)。9月28日にはこれら作家とキュレーターを集めてフォーラムが開かれたが、10月6日にも同展のタイ、フィリピンのキュレーターともにパネル・ディスカッションが開かれて私も参加した。このビエンナーレには関与していない私が招かれたのは、関渡美術館とアジ美は空間の規模やレジデンス事業などの共通点があるため、前日にアジ美を紹介するトークを行ない、また今後の相互協力の可能性を話し合うためであった。

 

関渡ビエンナーレのドン・サルバイバ作品 (写真提供=関渡美術館)

関渡ビエンナーレ作家は、国際的にも多くの発表歴のある作家と若手の混成で、今回では中国の劉建華(リウ・ジエンファ)、台湾の崔廣宇(ツイ・クアンユ)、ベトナムのティファニー・チュン、タイのニパン・オラニウェーはなじみ深い作家である。円形吹き抜け空間を生かした韓国のブ・ジヒョンの集魚灯による作品は古風ながらも美しかったが、全体の印象では、作家ごとに独立した空間をゆったりと使うのはいいとして、殺風景で吸引力に欠ける作品が多かった。

 

ただしよく考えればこの美術館の独自の姿勢が見えてくる。2007年から行っているレジデンスのための作家のスタジオのひとつが、なんと、展示室をつなぐ階段の脇にあるのだ。美術館の活動のなかでのレジデンスの重要性が伝わる。ビエンナーレ作品でも、ティファニー・チュンの作品のひとつは秋吉台芸術村で制作したビデオであり、アジ美のレジデンスに参加した後に台北芸術村に滞在したフィリピンのドン・サルバイバも、影絵芝居の制作のため滞在中だった。

 

この後に見た台北ビエンナーレは対照的だった。最近の傾向らしいが、歴史博物館のような展示だらけで、解説を読まないと意味が不明で、ドイツ人キュレーターから「見ろ!読め!理解しろ!」と強制されているようですぐ疲れてしまった。いいかえれば関渡ビエンナーレはテーマも構成も「ゆるい」キュレーション(「ゆるキュレ」と呼ぼう)が難点かもしれないが、アジア重視とアーティスト主導という「自前」の精神において関渡にも座布団1枚はあげたい。

 

「新美術新聞」2012年11月21日号(第1297号)3面より

 


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