[通信アジア]歴史と文化と80年代:南條史生

2022年06月16日 12:00 カテゴリ:コラム

 

ICA Nagoya の河原温の「Again and Against」展

ICA Nagoya の河原温の「Again and Against」展

 

池田修氏が突然亡くなられた。まだお若かった。

 

彼がPHスタジオを設立してアート作品を発表していた時期から既知である。一度横浜で、解体する予定の一軒家を、中央で二つに切って、その合間から中が見えるような作品を見に行ったことがある。日本人のアートとしては異例にスケールが大きいのでびっくりした。ゴードン・マッタ・クラークを思い出した。

 

また別な時期、オオタファインアーツでの発表だったと思うが、《猫の通り道》という不思議な作品を見た。猫が都会の家やビルの隙間を通り抜けるその空間を、板張りの箱で造形し再現したものだった。これらの作品は明らかに建築的で、なおかつゲリラ的で、アートと空間デザインの中間にあるような作品だった。

 

BankART1929の経営に入ってからは極めて柔軟に建築、アートの間を行き交い、また自主企画と持ち込み企画のバランスをとりながら上手く経営を続け、多くの人の信頼を確立した。BankARTに関して言えば、彼の意志を汲んで、今後も上手く続けていって欲しいと思う。

 

彼が残した業績は余りにも多いので言及しないが、この機会に改めて思うことがあった。それは、記憶はすぐ消えていくと言うことである。多くの重要な業績が20年も経てば、世代が交代し、徐々に人々の記憶から薄れていく。重要な展覧会、アーティスト、事件、その他諸々が記憶から消えていく。

 

これを思うのは、たとえば80年代に私が運営していたICANagoyaの存在と活動も今の若い人には全く知られていない、ということがあるからだ。ある若い美術史家と話していたら、アルテポーベラの作家が日本に来ていたのですか、と驚く。クネリスも、メルツもファブロも名古屋に来て、制作していた。その美術史家にその頃は、まだ生まれていなかったと言われてさらに驚いた。

 

河原温の展覧会「Again and Against」も、カスパーケーニッヒと一緒に開催した。ダニエル・ビュラン、エド・ルシェもやった。ネットがまだない時代だったから、今ネットで調べても余り情報は出てこない。日本の戦後現代美術史にとって重要な事件だったが、これを可視化するはどうしたら良いのか、と思う。だいたい日本の現代美術が国際的に出て行くきっかけが生じたのが80年代だった。その視点から見ると、当時の国際交流基金の行った事業、また外国の美術館が如何に日本のアーティストを招聘したかというプロセス、日本側がどんな努力をしていたかという事実などが今また見直すべき重要な歴史として浮かび上がる。

 

そんなことを考えて、私自身は過去に関わった事業、展覧会、シンポジウム、文章を整理し、公開したいと考え始めた。アーカイブの重要性を再認識したのだ。

 

欧米の美術館を見ると、90年代に自国の重要な60年代の作家の大個展を開催し、その際に、カタログレゾネに近い徹底したカタログを出版していた。それは、我が国にはこのようなアーティストがいて、このように重要な活動をし、世界のアートの発展に貢献しましたよ、我々はそれだけの文化先進国ですよというメッセージを発信しているのだ。

 

日本でこれを一番やるべきなのはおそらく国公立近代美術館だ。60年代以後の作家達の個展とモノグラフの出版を全力で行い、「我が国にこの作家あり」を国際的に定着させる必要がある、それが文化国家であり、文化戦略でもある。言いにくいがこのような文化国家としての戦略を理解し、実行する国になって欲しい。

 

ICA Nagoyaのマリオ・メルツ展

ICA Nagoyaのマリオ・メルツ展

 


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