[フェイス21世紀]:吉澤 舞子〈日本画家〉

2021年08月02日 10:00 カテゴリ:コラム

”この手で希望を見つけに行く”

三鷹市内の自宅兼アトリエにて

埼玉県朝霞市内のアトリエにて

 

海面から光が放たれ、勢いよく無数の手が動き現れる。その手が支える器から海へと水が注がれていく。吉澤舞子が描いた《乱反射の器》は、8メートルにも及ぶサイズで見る者を圧倒しつつも、希望に満ち溢れている。

 

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《乱反射の器》2020~21年 203×805cm 岩絵具、麻紙

 

吉澤は祖父母、両親、弟の6人家族で暮らしていたが、仕事で度々海外へ出掛ける父親の姿はそこにはほとんどなかった。母は、異国で幾度となく問題を起こす父への怒りを娘にぶつけた。「家族みんなで仲良くなってほしいのに」。そんな願いを込めて、幼い吉澤は日々両親宛の手紙を綴り、自分の願望を絵日記にしたためた。

 

そんな吉澤は高校卒業後、「絵を描きたい」一心で女子美術大学短期大学部に入学。在学中に日本画に魅了され短大卒業後、多摩美術大学日本画専攻に編入学。同時に自分がこれから取り組むべきモチーフは一体何なのか模索し始める。そんなある日、指導教授の米谷清和に密かに描き溜めていた絵日記を見せたところ、「こっちのほうが面白いんじゃないの?」と背中を押された。それまで人間の全身像を描き必死で形を捉えようと苦労したが、この一言で絵日記の中で何気なく描いた手や足の落書きを日本画へと解き放っていく。

 

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《サリーに乗って》2014年 130×162cm 岩絵具、麻紙

 

水を得た魚のように制作にのめり込んだ吉澤だったが大学院修了後、両親が離婚、帰る家を失った。雑居ビルの暗く閉ざされた部屋の中、窓から射しこむ光を頼りに絵筆を握りながら、吉澤は「誰かの心に光を当てられるような絵を描こう」と自身の役割を見出す。「家庭が崩壊してしまい、どこか遠くへ行きたい気持ちで絵を描き続けるうちに私の心は浄化されました。私は葛藤する人たちに絵で『大丈夫だよ』と伝えたい」。かつて俯きながら絵日記を描いていた少女は、絵筆を握りながら希望の光を見つけるため前を向いている。

(取材:岩田ゆず子)

 

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8月10日から開催されるグループ展に向けて制作中。

 

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「現代日本画の系譜 -タマビDNA展」に出品した作品の下絵。「この手は犬の影絵を表しました」

 

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吉澤 舞子(Yoshizawa Maiko)

 

1987年千葉県生まれ、2012年多摩美術大学大学院美術研究科絵画専攻日本画研究領域修了。主な受賞歴に第8回Artist Group―風―大作公募展入賞。20年にギャラリーQなど個展多数。公益財団法人ポーラ美術振興財団令和2年度若手芸術家の在外研修助成(アメリカ/新型コロナウイルス感染症により出発未定)、8月10日~22日FEI ART MUSEUM YOKOHAMAにてグループ展「AIR Artist In Residence」展開催。

 
吉澤舞子 ウェブサイト


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