[フェイス21世紀]:檜垣 友見子〈洋画家〉

2021年06月08日 13:45 カテゴリ:コラム

 

”風景の中へあなたを連れていく”

三鷹市内の自宅兼アトリエにて

三鷹市内の自宅兼アトリエにて

 

檜垣友見子が描く風景画は、空から俯瞰した広大な図の中で多くの人が賑わっている。画中に描かれた人々の声まで聴こえてくるかのようだ。

 

web_210601号フェイス「檜垣友見子」図版2(岩田)

《賑やかな街》2018年 194.0×130.5cm 油彩、キャンバス

 

幼少期に、うまく言葉を発することが出来なかった檜垣。そんな彼女に対し、当時通っていた教室の先生は絵日記の提出を提案。「文章は書かなくていいから、絵で日記を描いてごらん」。それからまるで会話をするかのように、毎日その日の出来事を絵で表していった。先生への絵日記は、かけがえのないコミュニケーションだった。

 

小学校時代に絵画教室で油彩画と出会い、中高では美術部に所属。女子美術大学短期大学部に進学後、日本画担当講師の小川幸治との出会いが檜垣の作風を決定づける大きなきっかけとなる。小川は、街の歴史を調べて風景画を描く課題を提示。これを機に檜垣は風景画にのめり込み、油彩画のコースを選択後も卒業制作では小川から指導を受け、日本橋、神田、月島を調査。街に馴染んだ古い建築物にどんどん惹かれていき、その中で人が往来する様子をスケッチに溜めていった。現地調査とスケッチの成果は、100号のキャンバス2枚に《私の昭和レトロ世界》と名付け、街を繋げた広大な一つの絵画を創り上げた。

 

web_七五三詣で_新年を迎えた街_合体

(左)《七五三詣で》2021年 52×58cm 油彩、キャンバス (右)《新年を迎えた街》2021年 52×58cm 油彩、キャンバス

 

「元々の私は引きこもるタイプ。スケッチ会を企画する小川先生や旅行する家族が私を起こして引っ張ってくれる。案内人に恵まれているから風景画が描けるんです。私にとって風景画は会話なんです」。かつて言葉でコミュニケーションをとることが苦手だった檜垣は、自身の作品を見せながら弾けるような笑顔でそう語る。

 

檜垣はこれまで、「風景」へと導いてくれる案内人たちに出会ってきた。洋画家となった今、私たちを手招きするように街案内をする。どこまでも続く道を軽やかに歩きながら。

(取材:岩田ゆず子)

 

檜垣アトリエ1

人物を描く時は、腰の曲がり具合や歩幅の違いなどを細やかに工夫、墨汁を用いて面相筆で描き上げる。

 

檜垣アトリエ2

色紙にも風景画を描いている。「現場で墨汁を用いて描き上げます」。

 

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檜垣 友見子(Higaki Yumiko)

 

1992年東京都生まれ、2013年女子美術大学短期大学部専攻科修了、17年女子美術大学短期大学部研究生修了。14年第91回春陽展初出品、奨励賞受賞、18年春陽展損保ジャパン日本興亜美術財団賞受賞。17年春陽会会員推挙。18年銀座スルガ台画廊にて初個展。

 


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