[通信アジア]サンパウロのジャパン・ハウス訪問:南條史生

2020年02月21日 14:00 カテゴリ:コラム

 

ジャパン・ハウスの入口

ジャパン・ハウスの入口

 

外務省の依頼で、サンパウロに出来たジャパン・ハウスの視察に行ってきた。

 

ジャパンハウスに関しては、実現する前からいろいろな形で相談をうけていたが、実際に見に行ったのはこれが初めてである。実際、日本の対外文化発信の拠点施設となると国際交流基金の拠点もあり、国によっては大使館の文化センターもある状況の中でジャパン・ハウスの何が新たな役割で、他の施設とどう違うのか、という疑問は常に議論されてきた問題だ。

 

さてサンパウロに行ってみると、まずジャパン・ハウスの場所がいい。パウリスタ通りに面していて、日本で言えば銀座4丁目とでも言える場所だろう。この場所は圧倒的に有利である。

 

そこにあるビルの1階から3階がジャパン・ハウスなのだが、その外壁は隈研吾のデザインした檜を使った装飾が覆っていて、通行人からはたいそう目立って見える。視認性も高い。展示室は1階と3階にあり、ちょうど塩田千春展が開催中で赤い糸を使ったインスタレーションが表通りから少し見える(次の作家として予定されている川俣正が準備に滞在中で、久しぶりに旧交を温めた)。また1階にはショップやカフェ、ライブラリー、3階にはしゃれた日本食レストラン「藍染」があり、一般の人も入りやすい開けた雰囲気である。これなら自然にブラジルの人が立ち寄って、日本のことを知ることになるだろう、と思わせた。

 

もっとも、パウリスタ通りには、他にも有名なMASP美術館や民間がやっている財団のアートセンターがたくさんある。文化施設が集積することが集客しやすくしている面と、競争を厳しくしている面もあるだろう。

 

ジャパン・ハウスを見てから、サンパウロの旧市街にある銀行の建物に案内された。そこにも塩田千春の5階まで突き抜ける大きな白い糸のインスタレーションがあった。また日系アーティストのトミエ・オオタケの美術館に行くと、ちょうど村上隆展の最中だった。ということは、ジャパン・ハウスが紹介しなくても、どんどん地元の美術館ギャラリーが日本作家を紹介しているとみることも出来る。

 

銀行のビルの吹き抜けに設置された塩田千春のインスタレーション

銀行のビルの吹き抜けに設置された塩田千春のインスタレーション

 

トミエ・オオタケ美術館の村上隆展

トミエ・オオタケ美術館の村上隆展

 

その後、今度はブラジル日本移民資料館に案内された。最近改修工事されたらしく、かなりきちんと展示デザインも考えられた3層に及ぶ展示室がある。説明してもらうと、その艱難辛苦と胸を打つたくさんの物語に圧倒された。さらにイビラプエラ公園に行くと池に面して日本館が建っている。これも日本の建築会社の献身的協力で維持されているのだそうだ。

 

こうした日本の伝統や移民文化を伝える施設がすでにあったのに、そこにジャパン・ハウスが登場したということになるわけだが、もともと苦労して移民資料館などを維持してきた人から見れば、何で我々を支援してくれずに、またジャパン・ハウスを作るのかと見えただろう。一方で、こうした伝統的日本、移民の日系人に継承されている日本文化とは違う現代の日本文化、例えば現代美術やテクノロジー、建築、新しい事業や企業の息吹を伝えるには、ジャパン・ハウスが必要なのかもしれない。

 

現在のジャパン・ハウスの館長は、もともとサンパウロ州文化長官であった人だ。こんどモレイラ・サレス・文化センターの館長として転職するという。案内されたセンターは、庭にリチャード・セラの17メートルの鉄板が立つ本格的な現代美術セターだった。

 

本来、ジャパン・ハウスの設立背景には、露骨な日本批判をする国がある中で日本の今の文化の良さを知ってもらって、それぞれの国の市民・国民に日本シンパになってもらおうという「パブリックディプロマシー」の思想がある。現代の日本は友好的で、物作りに邁進し(この言い方は好きではないのだが)、一緒に協力して未来を作りましょうというメッセージが発信したいということだ。そのような戦略をどこまで活動に織り込むことが出来ているのかを知るには、滞在はあまりに短かった。しかしどこの国も現地に入り込めば様々な事情があるだろう。

 

近年日本のアートを海外に売り込むにはどうしたら良いかという議論も盛んに行われているが、それも現地の声に耳を傾け事情を理解した上で、きちんと戦略を立てきめの細かいアプローチをしなければ、なかなか実を結ばないのではないかと思った。

 

日本移民資料館の内部展示

日本移民資料館の内部展示

 


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