[フェイス21世紀]:松本 亮平〈画家〉
2019年04月26日 15:00 カテゴリ:コラム
動物と画家、夢の先へ続く物語
横浜市のアトリエにて(2019年4月8日撮影)
“動物博士”から“画家”へ――昭和会展は松本亮平の夢が変わる契機をもたらした。
日動画廊が主催する若手作家の登竜門、昭和会展。その最高賞・昭和会賞の錚々たる歴代受賞者のしんがりに、第54回展新たに名を連ねたのが、松本だ。
《自画像II》F3変形 水墨・アクリル、板 2018年
美術教師の父を持ち、物心ついた頃から大好きな動物をひたすらに描いた。“動物博士”になることを夢見た少年時代の志は大学進学まで失われず、早稲田大学大学院で情報生命工学を専攻。研究漬けの毎日でも絵を忘れることはなかったが、それが趣味の範疇を超えはしなかった。
「絵を教わる、という感覚がありませんでした。」
父に習うことも、美術の道を選ぶこともなかった松本だが、現代洋画壇の巨匠・佐々木豊氏との出会いが彼を変えた。大学在学時論文の挿絵を依頼され、自らの絵が人目に触れることを初めて意識した。それならばと門を叩いた先が佐々木氏。
対象への強い興味から緻密に細密に描き続けた松本が、大画面に大きく筆を運ばせることを学んだ。写実性と遊び心の凝縮されたディテール、それと並ぶ持ち味の生き生きとした躍動感や大胆な構図は、師の教えを今も色濃く湛えている。
松本の制作テーマは単に動物というだけではない。命と命の関係性、その先に自ずと生まれる物語――未だ揺るがぬ動物への愛情は、誰しもが一度は親しむ「人形遊び」のように構築される世界の中で、多彩な命の織り成す物語を紡いでいく。
師の勧めから応募した昭和会展とその最高賞は、いつしか明確な目標となった。そして初入選から4年、今春ついに実現した受賞を機に、丸6年勤めた会社も退職した。「今後は、壁画のような大作を描いてみたい。いずれ国際的な活動も。」新たな、大きな夢に向かい“画家”松本亮平は歩み始める。彼自身の物語もまた、目が離せない。
(取材:秋山悠香)
《群集行動》1167×1167cm 2016年 アクリル、板 第51回昭和会展入選
《地に満ちる》1167×1167cm 2017年 油彩・アクリル・アキーラ、板 第52回昭和会展入選
《流寓》1167×1167cm 油彩・アクリル・アキーラ、板 2018年 第53回昭和会展入選
《Recreation》91.0×116.7cm アクリル・水墨、板 2019年 第54回昭和会展昭和会賞
アトリエにはフィギュアやオブジェ、図鑑と、溢れんばかりの動物たちの姿が。「描くために集めているのか、集めるために描いているのか」と笑いながらコレクションを披露してくれた。
「大学図書館の美術関連の本を片端から読んだ中で、一番面白かった」という、佐々木豊著『泥棒美術学校』(芸術新聞社)。佐々木氏が近くで教室を持っていたことは松本にとって嬉しい偶然だった。
『実験医学』(羊土社)連載の「絵で見る先端分子生物学」。担当教授の論文に、遺伝子や細胞を主題にした挿絵を添えた。モチーフは異なるが、現在の作風にも通じるどこか幻想的な世界が拡がっている。
父との2人展に出品した《鳥獣戯画》のオマージュは、動物に関する100のことわざを題材にした、全長40mに及ぶ意欲作。画面中央に描かれるのは「火中の栗を拾う」、「池魚(ちぎょ)の殃(わざわい)』。最後は「猿真似」で終わる。
メインとなる動物の資料は、デッサンをもとに粘土を素焼きして自ら作成することも。確かな写実表現とダイナミックな表情や姿態を合わせ持つ松本の作品だからこそ生まれる工程だ。
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松本 亮平 (Ryohei Matsumoto)
1988年神奈川県生まれ、2013年早稲田大学大学院先進理工学部電気・情報生命工学科修了。
12年『実験医学』(羊土社)にて「絵で見る先端分子生物学」を連載。13年第9回世界絵画大賞展をはじめ受賞歴多数。16年第51回昭和会展に初出品、初入選を果たすと以降3年連続入選を経て、19年同展昭和会賞受賞を果たした。都内を中心に個展やグループ展、父・松本敏裕との2人展も複数開催する。
【関連リンク】松本亮平
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