[通信アジア] 第2回ホノルル・ビエンナーレについて:南條史生

2019年03月18日 17:00 カテゴリ:コラム

ゴールデン・ハイビスカス賞を受賞した Leland Miyano の作品

ゴールデン・ハイビスカス賞を受賞した Leland Miyano の作品

 

 

ホノルル・ビエンナーレの第2回目が開幕した。

 

第1回目は2017年に開催されて、私がアーティステック・ディレクター(以下A・D)となったが、今回は波乱を乗り越えての開催となった。というのは今回のA・Dに指名されたジェンズ・ホフマンが、自分が所属しているジューイッシュミュージアムでセクハラ事件を起こし、そのあおりでホノルル・ビエンナーレも辞任したからだ。その後チームの二人のキュレーターが引き継いだものの、そのうちの一人も私的事情で開幕前に辞任した。残ったのがニナ・トンガというテパパ国立博物館のキュレーターで、彼女がA・Dとなってようやく開幕することとなった。

 

一方でこのビエンナーレ創始者三人のうちの一人KJバイサは組織からはじき出され、独自に自分のビエンナーレ(iビエンナーレ)を始めたし、もう一人のイザベラ・ヒューズは組織委員会から出されて、今回は審査員になった。一人生き残ったキャサリン・テューダーが今回の総合ディレクターになったりで、内部の紆余曲折が激しい。

 

展覧会場は、10ヵ所に分散。第1回目に中心的な会場だった古いスポーツハブと呼ばれた大型ショッピングモールはなくなり、同じくハワード・ヒューズ社が所有するワードシティーというショッピングモールの一角が、メイン会場となっていた。  

 

テーマは「間違いを今正す」(making wrong right now)というもので、私から見るとこれはちょっと政治的すぎるように思える。これをハワイ(そして太平洋地域の島嶼諸国)で聞くと、「植民地主義で搾取された多くの先住民が、自分たちの権利回復を主張する場」とのイメージが強い。実際多くの作品は、そのような内容を持っていて、説明を聞かないと意味がわからないものが多かった。

 

しかしこのテーマは、本当はもっと広くとらえて、アメリカの民主主義、環境破壊、国際政治の問題などに広げることが出来ることでもある。そのように解釈出来なかったところにハワイらしさと、国際的なビエンナーレに育ちきれない狭小さも感じてしまう。

 

今回からゴールデン・ハイビスカス賞(賞金1万ドル)が設置され、大賞がルランド・ミヤノ(Leland Miyano)、審査員特別賞がベレニス・アカミネ(Bernice Akamine)に決まった。二人とも日経のハワイ人で、日本人から見るとちょっと誇らしい気もする。ただ二人ともハワイ出身なので、この賞がローカルな判断によるものに見えないかという心配はあったが。ミヤノの作品は、巨大なカタマランのボートを大勢のボランティアと小枝を寄せ集めて作ったものだ。島々を巡る航海、移民、トレードなどというハワイらしい問題が提起されていると解釈された。またアカミネはワシントンにある国立アーカイブからもたらされたハワイの人々の政治的、歴史的な記録文書のコピーを蓮の葉に造形し、ホノルル・ヘイルという政府の市庁舎の吹き抜けに展示したもので、そのリサーチの深さと場所とのマッチングが評価された。

 

そのほかに日本人では塩田千春が赤い糸の大作インスタレーション、エイ・アラカワが中華街の店でテキストベースの平面、河井美咲がボタニカルガーデンでユーモラスな黄色いキャラクターのような彫刻を発表した。

 

1回目のディレクターの目から見ると、もっと一般の観客に見えるようにパブリック・スペースを使ったり、説明なしでも共感できる作品、あるいはよりグローバルなインパクトの大きい作品も必要だったのではないかとも思われた。そうしたノウハウは次回の人たちにどう引き継がれていくのか、期待とその困難さの両方を感じてしまった。(森美術館館長)
 
 

審査員特別賞、Bernice Akamineの作品

審査員特別賞を受賞した Bernice Akamine の作品

 


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