【寄稿】 美術団体の一世紀 ― その新たな展開に向けて:清水康友

2014年10月15日 09:00 カテゴリ:コラム

 

 

美術団体の一世紀 ― その新たな展開に向けて

清水康友(美術評論家)

 

美術団体を代表する作家の新作は、鑑賞者の多くが心待ちにしている。第100回記念光風会展(国立新美術館)会場より。

美術団体を代表する作家の新作は、鑑賞者の多くが心待ちにしている。第100回記念光風会展(国立新美術館)会場より。

本年白馬会の流れを汲む光風会展が100回を迎えた。太平洋展、日本水彩展と併せ、100回を超える公募美術団体展(以下団体展)は3団体(旧文展から続く日展は除く)となり、来年は二科展と再興院展が100回を迎える。これ等の老舗を筆頭に現在100以上の団体展が開催されているが、各々に問題を抱えている。その最たるもので多くに共通するのが、会員の高齢化と出品者の減少である。これは深刻な問題で、団体運営の大きな財源となる会費収入にも影響を及ぼしかねないのである。

 

この出品者の減少は2つの大きな原因によるものと考えられ、そのひとつが社会的経済的な問題である。今日の現状と同様の少子高齢化と、バブル崩壊後の経済の低迷による出品者を取り巻く社会環境の悪化である。もうひとつは心情的問題で、団体展に対する不信感や悪感情による団体離れである。特に今日の価値観の多様化から、若手画家にとっては団体展が彼等の作品を評価する絶対的な存在となり得なく、従ってそこに権威を認める事も魅力を感じる事もないのである。

 

戦後我が国には欧米から新しい美術の潮流が押し寄せ、日本美術界は抽象、前衛の一大ブームとなった。これ等の美術思潮は今までの組織や団体による美術活動とは相入れず、従来の権威に対しても関心が薄く否定的であった。更にその後美術は領域を拡大し、インスタレーション、映像、パフォーマンス等の新しい表現が隆盛したが、この様な芸術表現は既存の団体展の枠を超えるものであった。マスコミや美術批評家により“美術団体無用論”が唱えられ、いつしか大手新聞からも団体展の論評は姿を消してしまった。当時団体展はその旧弊と欠点のみが取り沙汰され、否定的な論調が多く、利点や長所に目を向けられる事は殆どなかった。ここに団体展に対するある種の偏見が生じたと言えるであろう。だが団体展にも作品選考や組織運営等に関する問題も多く、反省し改善すべき点があったのは事実である。以来数十年を経た今日、多くの団体展では民主的組織運営や審査の公平性を再認識し、大幅な改善がなされている。運営する展覧会のシステムを改善するのも大切だろうが、作品を評価する人の意識の改革は更に重要なのである。

 

多くの団体展に共通する目的は、優れた作品を選考し、優秀な作家を見い出し育成する事であろう。この基本とするべき目的を着実に全うする事が団体展の存在意義とその正当な評価とにつながるのである。美術作品を制作発表する人々にとって、団体展は最良の受け皿であり、このユニークな組織の持つ多くの長所をより良く機能させる事は、美術界にとって大きなメリットとなる。一世紀を超えて次の時代に向かう団体展にとって、現在は大きな転換期にある。永い歴史の中で、多くの優れた美術家を輩出してきた団体展の新たな見直しと、その進むべき方向が注視されるのである。

 

「新美術新聞」2014年10月1日号(第1356号)2面より

 


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