現代ガラスの旗手として
アトリエにて=1月10日撮影=
幼い頃、日本橋の個展会場で祖父・藤田喬平のある作品に目を奪われたのを、藤田創平は鮮明に覚えている。
その作品こそ、喬平初期の代表作《虹彩》だった。
作品が放つきらめきを、幼い藤田は展示台の下から熱心に見上げていたという。
国語教師に憧れた時期もあったが、悩んだ末に祖父や父と同じ道を決意。大学卒業後、富山ガラス造形研究所に入所した。
《春ふたつ》 2017年 20×45×50cm
電気炉を用いてガラスを造形するキルンワークを熱心に学んだのは、より大型の作品に適した技法に惹かれたのみならず、祖父や父とは違う表現に挑みたい、そんな思いもあった。
講評の場で「古臭い」と厳しい言葉をもらいつつも、学んだ技法をもとに、自らの造形を追究した。特に、穴の空いた型の上にガラスを落とし込むザギング技法に着目。垂れ下がることで生まれる独自の形状をヒントにした作品は評判も良く、手応えを掴んだ。
《彼岸過ぎまで》 2017年 22.5×30×30cm 卒業制作で発表した一品。講評会では「工芸と造型の中間をいく作品」と高い評価をもらえた。
やがて迎えた初個展。会場は、祖父も生前個展を開いていた日本橋髙島屋だった。
質・量ともに高いものが要求され、制作は困難を極めた。言葉にならない生みの苦しみの中で、改めて3代目の重圧を痛感した。
だが陳列の日、試行錯誤の末に制作した《彼岸過ぎまで》を一目見た関係者の言葉に救われた。
《彼岸過ぎまで》 2020年 42.5×33.5×50cm 藤田の作品にはたびたび近代日本文学からの引用がなされる。本作をはじめとした連作では、漱石後期の小説から題をとった。
「こんなガラスは見たことがない。新しいガラスだ!」
その瞬間、祖父・喬平が《虹彩》によってガラス作家としての道を切り拓いたように、自分も一歩を踏み出したと思えた。
今年、藤田は自らのアトリエを千葉市内に構えた。
念願の独立を果たしたいま、次の発表に向け、新たな作品作りを始めているところだ。
「僕以外には決して作れないと人に思わせる、唯一無二な作品を作りたいです」
現代ガラスの旗手として、祖父や父に並び立つガラス作家への道は始まったばかり。
(取材:原俊介)
アトリエ全景。藤田の工房「びーどろ庵」は今年完成したばかり。既にガラス板などの素材が置かれ、制作が始まる雰囲気が漂っている。
制作に使う電気炉は作品のサイズに応じて大・中・小の3種類を使い分ける。大型のものはアトリエ新設に伴い購入したばかりの新品だ。
祖父・喬平の作品などが並ぶ小棚。いまはまだ少ないが、ここが孫である藤田の作品でいっぱいになる日はそう遠くはない――
藤田 創平(Fujita Sohei)
1992年千葉県生まれ。祖父は文化勲章受章者・藤田喬平。父はガラス工芸作家・藤田潤。2016年早稲田大学教育学部国語国文学科卒業。18年富山ガラス造形研究所造形科卒業。19年「国際ガラス展・金沢2019」武田厚審査員賞、22年「第71回千葉県美術展工芸部門」県議会議長賞。