ティナ・ジルアード(Tina Girouard)「スクリーンズ」展 1975年 グリーン通112番地ワークショップでの展示風景 © Courtesy of the Estate of Tina Girouard
昨年2024年は怒涛のような一年だった。拙著『オペレーションの思想』を初夏に擱筆したが、11月初頭に出版されるまで、ペースの早い編集と制作のプロセスに遅れないようについていったというのが実感だった。
有難いことに、次は何か、といくども問われていた。年が明けて、ようやく落ち着いて考える気持ちの余裕が出てきたところだ。
ストレートな英訳を出すつもりはなく、拡充・翻案した英語版を始動させるのが、まず一番大きな仕事となる。もともと5年計画のつもりだったが、日本語版での成果も考えると2年くらいは前倒しできるかもしれない。
それはそれとして、近年いくつか考えていることを、二つ書いておきたい。
一つは女性作家を考えること。実際、これまで知られていた作家(エヴァ・ヘッセやジョーン・ジョナスなど)のさらなる研究と評価にくわえて、これまで知られていなかった作家の紹介や研究も進んでいる。
たとえば1月12日までCARAで個展を開催していたティナ・ジルアード(1946~2020)だ。ルイジアナ州出身で、1970年代に黎明期のソーホーでパフォーマンスや平面作品を制作しながら、マルチな活動を展開していた。なかでも、チープで低俗な日常的素材と目されていた花柄模様の壁紙やリノリウムタイル、インテリア用生地をつかった「絵画」や「部屋」を模したインスタレーションなど、パターン&デコレーション系の作品を作るとともに、グリーン通112番地に位置していたワークショップや伝説的カフェFOODなどに関係していた。
ティナ・ジルアード《枝角》1979年 壁や天井に使うブリキ製の成形シートはソーホーの歴史建造物でもよく見かける安価な建築素材で作家も多用していた © Courtesy of the Estate of Tina Girouard.
ところで、CARAはCenter for Art, Research and Alliancesの略で『アート、リサーチ、協力関係』を掲げた非営利センターだ。調査にもとづく展覧会や出版事業と共に、作家を支援するフェローシップの制度もある。
現在、2年間のフェローシップを受けている一人が、1945年生まれで東京芸藝大を卒業し、76年からNY在住でポップ的な作風の絵画を制作する神子島巌(E’wao Kagoshima)である。CARAのスタッフが作品調査に始まり、資料の整備などアーカイブ的な作業を継続している。昨年11-12月にはソーホーのアルテリア画廊で三人展「Voyage」に招待されて出品した。
神子島巌(E’wao Kagoshima)《白い円》1976年(表面)+《無題》2016年(裏面)Photos courtesy of Ulterior Gallery, New York
神子島の存在は「ディアスポラ」の問題として重要だ。昨年10月1日号の本稿 でも触れたが、ディアスポラは「日本美術」の外延にあたる。「Voyage」展に参加していた田中和美も、やはりディアスポラの作家である。
くわえて移民作家の子孫たちもディアスポラを構成する。神子島や田中が移民一世だとすれば、二世以降の世代は、生まれた国と両親たちの母国の間に位置して、自らのアイデンティティも揺らぎの中にある。
チェルシー地区のSEIZAN画廊で個展を開催中の大久保ミネは二世作家だ。真珠湾攻撃の後、日系人として強制収容所に入っている。その経験をグラフィックノベルに仕立てた『市民13660号』で知られるが、パステルや木炭の絵画にも芯の強さが感じられる。
大久保ミネ(Miné Okubo)左:《無題》1940年代 紙に木炭、パステル 右:《無題》1940年頃 紙に木炭 Photos by Thomas Barratt / Courtesy of SEIZAN Gallery
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