日産アートアワードグランプリ 毛利悠子が語る《モレモレ:与えられた落水 #1-3》

2015年11月28日 15:08 カテゴリ:最新のニュース

 

2013年に創設された「日産アートアワード」の第2回目となる「日産アートアワード2015」でグランプリを受賞した毛利悠子氏が11月28日にキュレーターで東京藝術大学准教授の飯田志保子氏を迎え、BankARTでアーティストトークを行った。(取材・文/橋爪勇介)

 

グランプリ受賞作《モレモレ:与えられた落水 #1-3》

 

■《モレモレ:与えられた落水 #1-3》

今回の受賞作《モレモレ:与えられた落水 #1-3》は毛利氏がこれまで行ってきた、東京の駅構内に散在する水漏れ事故に駅員が対処したさまざまな現場を発見・採集するフィールドワークシリーズ《モレモレ東京》の発展形。作品の中で意図的に水漏れをつくりだし、その水が循環する構造となっており、それを囲む木枠はマルセル・デュシャンの《彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも》(通称「大ガラス」、1915-1923年)と同じサイズとなっている。

 

今回の毛利氏の推薦委員でもある飯田氏は推薦理由として「2014年の札幌国際芸術祭で発表された作品(Circus in the Ground)の完成度を見たとき、その凄さを実感した。自分の様式に閉じこもって同じ様なものを繰り返し繰り返しやっていくのではなく、色々な方向に枝葉を伸ばしチャレンジしていく、でも今目の前にある作品も一つのクオリティを持っていると確信した。これまでも海外で展示を行っているが、ロンドンに行って修行できるならと推薦した」とその理由を語った。

 

《モレモレ:与えられた落水 #1-3》(部分) ししおどしのように、車輪についたカップに水がたまると回転し、タライに水が落ちる。

 

 

■デュシャンへの言及に迷いも

今回の作品では上述の通りマルセル・デュシャンへの言及が見られるが、飯田氏の「デュシャンを参照する覚悟ができたのはいつ頃なのか」という問いに対しては「配布資料では言及していないし、オープンの時点でもそのことを言うかどうかという悩みもあった」と明かした。

 

「実は審査の前日に友だちが気づいてくれてた。それをSNSで発信したところ、一気に広がった。その時から審査員に対してどうプレゼンしようかと。一番最初に言うことでないなと。というのは一番にインスピレーションを受けたのは『モレモレ』という2009年からのリサーチや、色んなミュージシャンの方々とのコラボレーション(インプロヴィゼーション)から得てきた経験で、それをこの場所で新作としてフレーム入れて出してみたいというアイデアがあった。そういったものを“美術の枠”に入れようとなったときに思いついたのがデュシャンだった。デュシャンは実際にフィラデルフィアで本物を見て、『サッシっぽいな』とか。遺作もあるけど、それは『熱海(秘宝館)みたいだな』とか。フレームがすごいとか20世紀美術としてのすごさというよりも、(現代の人々に対してもリアクションを起こさせる)“生っぽさ”を感じた。

 

(左から)司会の堀内奈穂子氏、毛利悠子氏、飯田志保子氏

(左から)司会の堀内奈穂子氏、毛利悠子氏、飯田志保子氏

 

あの体験はなんだったんだろうと帰国してから東大の博物館(注:東京大学教養学部美術博物館)でレプリカを見ると、ちゃんとした“作品”になっていて印象が違った。“サッシ感”がなくなっている。割れてないしフレームもかっちりしてて。フレームってなんだろう、それに対する人々のリアクションってなんだろうという問いを100年越しでデュシャンに投げかけられた。それと自分が今までやっている『モレモレ』という有機的で消えやすく儚い現象をどうフレーム化するのかというのが重なったときに思いついた」。

 

これに対し飯田氏は「どういうフレームで自分のやってきたことを統一するかという話だが、別もありえた。今回ひらめいたのがデュシャンだったことが素晴らしい発想。単純な例を出すと『モレモレ』だとかそういうものをフレーム化するのにすごく日本的なもの—日本庭園のようなものもありえた。審査員の人たちは南條さん(注:南條史生森美術館館長)以外外国人なので喜ぶ。でもそっちの分かりやすさではない方に行った。その選択がスマート」と評する。

 

《モレモレ:与えられた落水 #1-3》(部分) 樹脂加工された傘の先端から水滴がしたたり落ちていくのがわかる。

 

■作品をどう残すのか?

今回の受賞作は水を扱い、かつそれが循環するという構造のため作品の保存(コレクション)という面に課題があるという毛利氏。自身の作品の収蔵に関して「動いたり消え行くものをどういうふうにコレクションするかが個人的なタスクだと思っていた。いつかは考えなくてはいけないと思って、今年のニューヨーク滞在の後にどう残していくかを真剣に考えていた」という。

 

飯田氏の「配置=インストラクションはどう残すのか?」という問いには「考え中。私が生きているうちは水を流していいけど、死んだ後は水を止めるというふうにしようかなと。私以外の人がそれをブリコラージュしたい思ったことも作品になりうるだろう。というのはこの作品はまだ全然“漏れる”(注:水が床にはねるため監視員が創意工夫しているという)。そのブリコラージュされた状態が最終的にどうなったか。日産にコレクションとして入った時には、そのかたちが作品として美しいとなるように展示したい。ギリギリまでブリコラージュして、その最終形が美しくないはずがないという確信を、2009年からのリファレンスとして出したかった」。

 

《モレモレ:与えられた落水 #1-3》(部分) ラベルを剥がされアノニマスな状態になたペットボトル。

《モレモレ:与えられた落水 #1-3》(部分) ラベルを剥がされアノニマスな状態にされたペットボトル。

 

与えられた落水

毛利の作品では既にある人工物を素材として使用するケースが多いが、今回使用されているのは傘や車輪、ホース、タライ、ペットボトルなど。この選定基準について問われると「今回はアノニマス。ラベルもなるべく消している。名もなきものだけど用途は分かるものに揃えた」と回答。「回路図も書かなかった。今回のタイトルは『与えられた落水』だが、水漏れという状態を自分に与えるということ。水はコントロールが難しい。電気は触れれば光るけど、水は重さや圧力があって予測不可能(=given)。その与えられた状態がパッションにつながる」。

 

今作のタイトルはデュシャンの遺作との関連性も指摘されるが「(タイトルをつけたのは)最後の方。『与えられた』という言葉は最初の方からあった。アサヒアートスクウェアで水漏れのワークショップをした時に、水漏れさえあれば作品にできることを確信した。そこで水を自分にも与えようと。もう一つタスクがあるとすればそれを歴史に残すということ。コレクションにするまでがアワードなので、個人的なタスクが合わさってこういうかたちになった」と語った。

 

日産アートアワードは12月27日(日)まで横浜のBankART Studio NYKで開催中。会期中無休で入場料無料。

 

 

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