【銀座】 卒寿記念 高木聖鶴書展

2012年11月26日 00:24 カテゴリ:日展

 

文化功労者、日展参事、かな書作家の最高峰である高木聖鶴(たかぎ・せいかく、1923年岡山県総社市生まれ、読売書法会最高顧問、日本書芸院名誉顧問、朝陽書道会会長)の卒寿を記念する展覧会が開かれる。流麗優美、繊細なかな書のみならず、力強さのある漢字作品でも人々を魅了する。今展では、万葉集や古今和歌集などに加え、芭蕉や子規など近世からの俳句も題材とし、華麗な料紙を用いた三十六歌仙の秀歌をパネル仕立てに誂えた作品、額装、屏風、軸装など多彩な展示が繰り広げられる。

 

 

和漢朗詠集より「洞中清浅瑠璃水 庭上蕭条錦繡林/しら露もしぐれもいたくもる月は下葉のこらず色づきにけり」 34.8×121.2cm

 

 

卒寿記念 高木聖鶴書展によせて ―古典、自然、現代の融合―

 

島谷弘幸 (東京国立博物館副館長)

 

 

書の技術や感性を磨くためには古典の臨書が肝要で、その学書には終わりがない。古典の基盤なしには創造はなく、ほかの芸術同様に時代性が重要である。

 

高木聖鶴は「元永本古今和歌集」ほか多くの古典を学んできた。手本を見なくても再現できるほど古筆を手中にした上で、その型を破って現代の書として見事に転生させている。ことに、この十年間の作品に見る軽妙、洒脱さは、実に洗練され、品格を備えている。いわゆる型の踏襲による形式美ではなく、作品から滲み出る品格である。聖鶴の人格、教養、生活環境などすべてが反映するものであろう。

 

聖鶴には生まれ育った吉備(岡山県)の自然との関わりが強い。鳥が大きく弧を描く動き、魚の素早い動き、四季おりおりの雲の流れ、こうした日本人が愛してやまない自然を聖鶴は日々眼にして育った。創作に当っては、古典に加えてこの自然をも自在に取り入れる。それを表現する技術は、弛まぬ学書で身につけた。今日もなお、日々の鍛錬を欠かさず、書作に対する厚い情熱を持つ。書作のための自制心、精神のたくましさをも感じる。

 

研ぎ澄まされた感性によって、自然と古典、そして現代性をどう調和させるかに腐心し、構想を練り上げる。一旦、筆を持つとその構想をたちまちに表現する。筆は自在に動き、流れの必然により行はうねり、文字は大小さまざまに、字間、行間、余白も聖鶴の感性で見事に表現され、巧みな調和を見せる。文字の配置の妙、研ぎ澄まされた線質など、まずは聖鶴の書を造形芸術として見る事もお薦めしたい。

 

もとより、書は文字を素材とすることから、書写される内容は文学、信仰などと切り離しては考えられない。書きたくなる素材によって創造する強い思いに駆られ、筆を執るのである。近年の聖鶴は、自然と書の関わりのある言葉、和歌を多く選ぶようになったように思う。文字と書の関連は、極めて重要である。文字を表現する芸術としての書もじっくりと鑑賞してほしい。

 

中村憲吉「み空より雲井くだりて秋草の花野にわたる風のくまなさ」34.5×69.2cm

 

挿図上の和漢朗詠集に見る、漢字と仮名の調和は見事というほかない。漢詩の闊達な流れを受けて、繊細に、そして流麗に和歌を書き始め、「下葉」でしっかりと受け止めて「色つきにけり」と作品を仕上げる。聖鶴の到達した一つの境地を示す作品である。聖鶴を仮名作家の範疇で括ることはできない。

 

挿図下の中村憲吉の和歌は、全体に宛転自在な筆の動きであるが、中央の豊潤で闊達な「花野に」が作品の芯となり、軽妙で味わいのある線で締めくくる。年とともに筆の冴えを見せる聖鶴の書と唐紙の料紙のコラボレーションが実に美しい。また、秋空のもと花の野原に吹き渡る涼風さえ感じられる書と和歌の融合である。

 

【会期】 2012年11月23日(金・祝)~12月3日(月)

【会場】 和光ホール(東京都中央区銀座4‐5‐11和光本館6階)

☎03‐3562‐2111

【休館】 無休 【料金】 無料

【関連リンク】 和光 公式ホームページ

 

「新美術新聞」2012年11月11日号(第1296号)1面より

 


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