富井玲子 [現在通信 From NEW YORK] :もう一つ気になったこと(2)

2019年08月26日 10:00 カテゴリ:エッセイ

 

ヴィクター・アーノートフがサンフランシスコのジョージ・ワシントン高校で制作した壁画《ワシントン伝》1934年

ヴィクター・アーノートフがサンフランシスコのジョージ・ワシントン高校で制作した壁画《ワシントン伝》1934年

 

承前―前回はサックラー問題について触れたが、今回は1934年にWPA壁画の一つとして、ロシア系画家ヴィクター・アーノートフがサンフランシスコのジョージ・ワシントン高校で制作した《ワシントン伝》をめぐる論争について書いておきたい。

 

問題となっているのは、ワシントン率いる独立軍が行進する足元に先住民の遺体が横たわっていること、ワシントンの奴隷所有を示す場面があること。これはネイティブアメリカンやアフリカンアメリカンの生徒にとって苦痛であり不快である、という指摘を受けて、市の教育委員会が破壊撤去を決めた事件だ。

 

アーノートフ《ワシントン伝》 独立軍の足元に死んだ先住民が横たわる Photos: Tammy Aramian/GWHS Alumni Association

アーノートフ《ワシントン伝》 独立軍の足元に死んだ先住民が横たわる
Photos: Tammy Aramian/GWHS Alumni Association

 

ただし撤去による環境負荷についての調査を行い、60-80万ドルにのぼるとされる実行予算を計上する必要があるため、すぐに撤去が行われるわけではないらしい。

 

撤去に反対するアーティストや教育者、一般市民など500人を越える署名がネット雑誌 Onsite.org に投稿され、同校同窓会でも、壁画を守るための寄金を求めている。

 

反対の理由は、現在の感情のみで過去の歴史画を判断することはできない、というもの。

 

ワシントンに限らず、アメリカ建国の父たちが奴隷を所有していたこと、先住民からの略奪で建国の歴史が血塗られていることは、今では広く知られている。

 

しかしWPA壁画の30年代には、一般には知られていなかった。壁画を制作したアーノートフはロシアから移民した筋金入りの左翼主義者で、ワシントン賞賛の壁画に隠れた史実をこっそりと補足した、という。社会の中でアートも発言すべきだと認識した確信犯だ。

 

実は、同校壁画に疑問が出されたのはこれが初めてではない。60年代に公民権運動の活動家たちが、壁画の撤去、および多人種国家をテーマにした新壁画設置を求めた。アーノートフ壁画は残されたが、74年に新壁画の制作を依頼されたのがまだ若いアフリカンアメリカンの画家、デューイ・クランプラーだった。依頼を受けて本格的にメキシコで壁画を研究し、アーノートフ壁画と対話する壁画を同校に完成させた。クランプラーは高校生のときに同校を訪れた際にアーノートフ壁画を見ていた。まだ建国の裏面史を知らなかったので、最初は奴隷の描写を見て苦痛だった、という。だが作家の意図を理解してからは撤去に反対で、今回も撤去反対は変わらない。

 

デューイ・クランプラーの壁画 Photo: Tammy Aramian/GWHS Alumni Association

デューイ・クランプラーの壁画 Photo: Tammy Aramian/GWHS Alumni Association

 

歴史の事実を消すことはできない。アメリカ南部では、南軍将校を顕彰した公共彫刻の撤去破壊が求められているが、こちらは人種差別の正当化を目的に20世紀初頭に設置されたもので、撤去はその反省の上に立つ。ただし、彫像を破壊するのではなく、歴史資料館などに移して歴史的解説をほどこすべき、という提案を読んだことがある。コンテクスト解説の重要性はワシントン壁画も同様だ。

 

時代が変わると視覚表象の意味も変わるが、それを乗り越えて、さらなる対話の可能性をアートは秘めているのではないか。そんなことを考えさせられた。

 

なお、今回は Artnet Hyperallergic.com のネット記事に多くを学んだ。

 

アーノートフ《ワシントン伝》 ワシントンと奴隷 Photo: Tammy Aramian/GWHS Alumni Association

アーノートフ《ワシントン伝》 ワシントンと奴隷 Photo: Tammy Aramian/GWHS Alumni Association

 

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