追悼 河原 温:富井玲子

2014年07月16日 17:44 カテゴリ:エッセイ

 

 

29771日生きた人

 

 

「今日」の日付を延々とカンバスに記したコンセプチュアル・アートの寡黙な達人、河原温が過去の人となった。

 

生前は、アートにおける個人崇拝や天才崇拝を拒否するがごとく、個人情報を一切出さず、展覧会のパーティには絶対出席せず、カタログなどの資料欄には、通常の略歴や展覧会歴を排除して、展覧会開始日における生存日数のみを記すことをモットーにしていた。

 

表題の日数は、作家が生きた日々の総数である。来年回顧展を予定しているグッゲンハイム美術館の担当キュレーターに依頼して、遺族の公認のもとで入手した。

 

追悼の文章を書こうと思ったときに、まず第一に頭に浮かんだのは、この数字だけを記して、あとはテキストなしの白紙というコンセプチュアルな案だったが、それは極端すぎるので控えることにした。

 

寡黙の仮面の背後に隠れていた人だったが、美術史家という仕事のおかげで、若干の交流を持つことが出来た。ただし、過去には興味はない、興味があるのは未来だけ、と言っていた作家は、過去の研究を身上とする私のような美術史家の仕事には意義を見出せなかったようだ。

 

1999年のクイーンズ美術館の「グローバル・コンセプチュアリズム」展では、日本セクションへの出品を拒否された。北米セクションの担当キュレーターが勝手に個人コレクターから借りた電報作品を出品したので、開幕後に作家から私のところに抗議の電話がかかってきた。美術館へは日本セクションに出品しない事情を説明したわけで、他人の企画内容は私の守備範囲外である。最善は尽くしました、と官僚のような言い訳をした。

 

だが、私がこっそりと日本セクションに紛れ込ませた《印刷絵画》については気がつかなかったようだ。何しろ、出品しないからといって議論してはいけないとは言えないはずで、だからカタログのテキストでは、日本的コンセプチュアリズムの前哨として《印刷絵画》の理論を考察した。また、引用の手法で、同展の出品作品である刀根康尚・彦坂尚嘉編の通称『年表』に《印刷絵画》が小さく掲載されている頁をカタログに図版掲載し、展示でもその頁を広げて『年表』を出品しつつ《印刷絵画》も出品した。展覧会の作品リストには直接記載されていないが、この隠密出品は美術史家の矜持だった。

 

ただ、翻訳家としては重宝していただいた。

 

宇宙時代における人類の意識の問題に関するテキストを紹介したいということで、山本佳人著『宇宙意識の哲学的研究』、猪股修二著『ニューサイエンスのパラダイム―21世紀のためのプリンキピア』、松井孝典著『宇宙人としての生き方―アストロバイオロジーへの招待』をそれぞれアイコン・ギャラリー(2002年)、ツワーナー画廊(2004年)の個展図録のために翻訳した。

 

形見となったウバメガシの備長炭。2003年8月31日、わざわざ拙宅までご自分で届けてくださった。原材料の生木がそもそも水に沈む密度の高さで、1500度で焼くので非常に堅い、という話を近所のカフェでうかがった。(筆者撮影)

 

翻訳の初仕事は、備長炭を床下に敷き詰めて「治癒空間」を作り出すという展覧会企画のための資料を英訳した。そのときに、コンピューターの電磁気を吸ってくれるからデスクの近くに置いておくとよい(とかいう話だったと思う)、と上質の備長炭をいただいた。思えば、それが私にとって人間・河原温の形見となった。(7月14日記す)

 

富井玲子

 

【関連リンク】 AKIRA IKEDA GALLERY

 

 

7月15日、米紙「The New York Times」にも追悼記事が掲載された。(英文)

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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