[フェイス21世紀]:津絵 太陽〈洋画家〉

2021年09月29日 10:00 カテゴリ:コラム

”あなたが確かにいた場所”

津絵_ポートレイト

中国・内モンゴル自治区にて 2018年撮影

 

モノトーンの絵具で描かれた広大な風景。どこまでも続く道路を眺めながら画面下に視線を動かすと、馬車や歩行者の姿が見えてくる。津絵太陽は、旧満州を綿密に取材し、時代が移り変わっても確かにそこにあった場所を浮かび上がらせる。

 

web_津絵図版1

《43°53’14.6″N 125°19’19.4″E ,July 1930s》 33.3×45.5cm

 

高校の美術科教員である父親の下で育ち、修行をするかの如くデッサンに取り組んだ。ひたむきな姿勢を貫いた少年は、東京藝術大学油画専攻へ進学。入学前に効率化を求められる受験デッサンから少し離れ、じっくりと抽象画にも取り組んだ経験から、1枚の絵画を仕上げるまで時間をかけて取材をする制作様式を形成。デッサンの影響から、油彩画においても灰色系統の色で描くグリザイユを用いた。この技法の初期段階である明暗を見直す必要を感じ、モノトーンの制作を始める。この頃から、戦前のモチーフに着手し、卒業制作でようやく手応えを感じ始めた津絵は、旧満州を取材していく決意をする。

 

旧満州は、かつて曾祖父が開拓団として住み、内モンゴル出身の妻にも所縁のある地。資料調査を進め奔走する中、故郷・宮崎県の新聞社からの情報提供により、曾祖父の寄稿掲載紙が見つかる。現地の様子が分かる文章や写真からその生き様を感じ取った津絵は、当時の村民の息遣いも感じられるような姿を描写、キャンバスへ絵筆を走らせた。

 

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(左)《Northern Manchuria,mid-August 1945》 193.9×130.3cm 
(右)《Southern Manchuria,late August 1945》 130.3×97.0cm

 

「関東軍や満洲国政府の高官の家族は早期に避難することができ、かつ生活環境も良好であったのに対して、開拓団は自宅の建設から始まり、敗戦時に取り残される悲劇に見舞われました。今後は日本人に留まらず、それぞれの立場から見た満州を検証し、制作、発表をし続けたい」。津絵はそう語りながら、画中の村民の表情を見つめた。その眼差しは、確かに家族が生き抜いた地へとまっすぐに向かっている。

(取材:岩田ゆず子)

 

web_津絵作品_アトリエ

東京・荒川区の自宅兼アトリエ。大正~昭和初期に作られた机を使用している。

 

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津絵 太陽(Tsue Taiyo)

 

1996年宮崎県生まれ、2020年東京藝術大学卒業、現在東京藝術大学大学院美術研究科油画技法材料研究室在籍。16年久米桂一郎賞受賞、18年第94回白日会展初出品・白日賞受賞、会友推挙。20年第96回白日会展会員推挙、東京藝術大学卒業制作台東区長賞受賞。18・20年美岳画廊、19年銀座 STAGE-1にて個展、21年日本橋髙島屋にて個展「みなそこへ。」開催。

 


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