[フェイス21世紀]:中村 萌〈彫刻家〉

2019年11月26日 11:00 カテゴリ:コラム

 

”無意識に心を宿して”

 

アトリエ「クンストハウス」にて(11月6日撮影)

アトリエ「クンストハウス」にて(11月6日撮影)

 

神奈川県相模原市には無数の共同アトリエが点在する。その内の一つ、「クンストハウス」を拠点に日夜制作に励むのは、気鋭の彫刻家・中村萌。2014年 Taipei Toy Festival で発表した限定フィギュアを発端に国内外で作品を求める声は止まず、その人気には目を瞠るものがある。

 

絵を描いたり物語を考えたり、小さい頃からいつも何かを創っていた。付属中から大学院まで通った女子美術大学で在籍したのは洋画専攻。絵画から彫刻へ――転機となったのは学部2年、絵に煮詰まっていた頃受けた立体制作の授業だった。

 

「それまで平面に制限されていたものが同じ空間に物体として現れ、出会えた、という手応えを感じました」

 

描くこと・彫ること、アプローチは変われども感覚に変化はなかった。彫り跡はマチエール、楠から創り上げた“キャンバス”に“絵”を描く――絵画科出身であることは木彫の道を歩む今なお、或いは今だからこそ大切に生き続ける。

《growth》

《Growth》88×74×60cm


 

あたたかく、やさしく、時折陰を見せる子どもの姿。自らの分身であるという作品は、どこか作家の面影を残す。一方朗らかな笑顔の絶えない中村とは対照的に、彼らの表情に表立った喜怒哀楽はない。その顔が語るのは、誰もが一度は抱く、言葉で言い表せない曖昧な感情。えも言われぬ心の機微は確かな表情を、共感を生み、心の奥深くにそっと寄り添ってくれる。彼らは時に私たちの分身ともなりえるのかもしれない。

 

「高校の頃には今のモチーフを描いていました。きっと、子どもの頃から描いていたんだと思います」

 

その無意識の感覚は今も創作の核を成す。かつての少女の落書きは今、国の境を越えて無数の視線を集めている。それでも作品が抱く無垢な精神性は失われないだろう。それが落書きの続く先にある限り。

(取材:秋山悠香)

 

(左)《hour of the dawn》(右)《midnight messengers》

(左)《Hour of the dawn》200×95×100cm(右)《Midnight messengers》45x24x21cm

 

現在、立体作家10名でシェアする「クンストハウス」内、中村が使用する一角。だるまストーブは現役で、木片をくべて暖をとる。

今から20年以上前、東京造形大学の学生が卒業後の制作場所を求め借り始めた共同アトリエ「クンストハウス(KunstHaus)」。中村自身も大学院修了後より拠点としており、今年で7年目。写真は中村が使用する一角で、だるまストーブは現役。

 

こちらも中村のアトリエ。滞在時間の長い中村が使用するスペースは自然と広がっていったそう。壁にはかわいい雑貨とチェーンソーが同居する。

こちらも中村が使用する別の一角。滞在時間の長い中村のスペースは自然と広がっていったそう。壁には自身のドローイングやポストカード、雑貨からチェーンソーまでが混在する。

 

制作途中の作品。素材には楠を使う。「扱いやすさと、ねじれの強さが表情に幅を持たせてくれます」台に見えるのは下図代わりの落書き。

制作途中の作品。素材は主に楠を使う。「木目のねじれの強さが表情に個性を持たせてくれます」作業台には、下図代わりの”落書き”が。

 

作品の持つキャラクター性の強さ故、大きな作品を作りたいという。一人では到底扱えない木材は、アトリエの仲間の力を借りる。

作品の持つキャラクター性の強さに偏り過ぎないよう、できるだけ大きな作品を作りたいという。一人で扱えない木材は、アトリエの仲間の力を借りることも。年齢や作風もさまざまな仲間と刺激し合い、助け合い過ごす「クンストハウス」は、中村の飛躍に不可欠な場所だ。

 

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中村 萌 (Moe Nakamura)

 

1988年東京都生まれ、2012年女子美術大学大学院修了。2010年女子美術大学平成21年度卒業制作賞、11年「FILE?展」美術館賞、13年朝日新聞厚生文化事業団主催「NEXT ART展」推薦。2012年より京橋・ギャラリー椿にて隔年で個展を開催、18年には同廊ブースより ART FAIR TOKYO に出品、今夏の個展「remember you」では事前予約で作品が完売した。13年以降毎年台北のアートフェアに参加。

 

【関連リンク】中村萌

 


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