[通信アジア] 重みを増すジョクジャ・ビエンナーレ:南條史生

2019年08月21日 15:00 カテゴリ:コラム

 

IFM総会開催を契機にバリ島に登場した、アートバリの美術館建築。

IFM総会開催を契機にバリ島に登場した、アートバリの美術館建築。

 

久しぶりにジョクジャカルタで開催されるビエンナーレを訪問した。内容はいくつかの異なった枠組みで選ばれた作家が混在する構成だが、私はその中で公募による若手作家の審査員として参加した。

 

歴史をたどると、展覧会の展示事業を請け負っていたヘリ・ペマド(Heri Pemad)が、アートフェアの開催を提案し、多くのコレクターの支持を得て、展覧会事業をスタートしたのが発端である。しかしこの展覧会は多様な批判を受けながら回を重ねるにつれ、よりタイトなキュレーションによって展覧会としても批判に耐えうるイベントとなっていき、現在はアートフェアの要素を持ちながら、(作品の一部は販売することを前提)ビエンナーレとしての存在感も増している(ただし、販売はアーティストからコレクターに直売の形を取り、基本的にギャラリーは介入しないところが特殊である)。一緒に審査をやったジャカルタのマチャン美術館館長であるアーロン・セト(Aaron Seet)も、インドネシアの中で評価の高いビエンナーレとして定着したと語っていた。

 

さて、大物の作家は招待されるのだが、今年はその中心にハンディウィルマン・スプトラが選ばれ、会場であるジョクジャカルタ国立美術館の前に作品を設置した。

 

この招待作家が誰になるかは毎年美術業界の話題であり、また招待作家に選ばれることは極めて名誉なことでもある。この作家は、2013年に東京の TOLOT/heuristic で私が個展を開催した作家である。当時私がこの作家に注目したのは、その素材、形状の独自性、意味の重層性と不可解さなどが、他で見たことのない言語を形成しているように感じたからだ。その直感は正しかったのか、今回の作品も大がかりで、不可解かつ独自の美学を感じさせる渾身の作品となっている。

 

ハンディウィルマン・スプトラの大型作品。掘り下げた大地が歴史を語る。

ハンディウィルマン・スプトラの大型作品。掘り下げた大地が歴史を語る。

 

一方で私が審査に参加した若手作家の受賞者は3人いたが(Andrita Yuniza,Enka Komariah,Natasha Tontey)、中でも映像、インスタレーション、パフォーマンスを総合して、ゴキブリが人間の文明を未来の視点からシニカルに批判したナターシャ・トンティの「権力へペスト(Pest to power)作品がユニークだった。ここには我々の現時点での文化、文明の愚かさが浮き彫りになっている。

 

若手受賞者の一人、ナターシャ・トンティのゴキブリ文明の映像、パフォーマンス作品。

若手受賞者の一人、ナターシャ・トンティのゴキブリ文明の映像、パフォーマンス作品。

 

ところで、このビエンナーレの作品は販売を基本としていると書いたが、PRで大々的にそれをうたっているわけではない。またこのような大型のインスタレーションが簡単に売れるわけでもない。しかし民間が立ち上げたこのイベントをサスティナブルにするには、それも必要だという判断がある。思い出してみると、バーゼル・アートフェアの Art Unlimited がこれに似ているのかもしれない。

 

結果として彼らは、これをアートフェアでもなくビエンナーレでもない、第三のフォーマットと呼んでいる。たしかに我々は、公的資金に頼るだけでも、民間の熱意に頼るだけでもなく、その混合したサスティナブルなフォーマットが必要だとも言える。この主催者は、同じ方法で今後バリ島でも大型ビエンナーレを立ち上げる計画だ。

 

なお会場の国立美術館は、もともとジョクジャ・アートカレッジの廃墟だったもので、10年以上前に行った時には電気もガスもないのに、多くのアート系学生が占拠している荒削りなスタジオの集合体だった。これをジョクジャのスルタンが買い上げて美術館に転用した。これもなかなかの見識である。

 

インドネシアは最近経済も発展し、アートマーケットも急速に拡大、(今は勢いを失っているが)、また私設美術館も多数誕生しており、東南アジアの現代美術状況としては、最も注目すべき国である。今後の発展を見守りたい。(森美術館館長)
 
 

入口に作られたパビリオン。内部にはハンディウィルマンなどが納められている。

入口に作られたパビリオン。内部にはハンディウィルマンなどが納められている。

 


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