[通信アジア] バンコク・アート・ビエンナーレと2018年回顧:南條史生

2018年11月21日 16:27 カテゴリ:コラム

 

タイの寺院の中に置かれたタイと中国の守 護神の像:Komkrit Tepthian

タイの寺院の中に置かれたタイと中国の守護神の像:Komkrit Tepthian

 

タイでは、2018年後半に3つのビエンナーレが開催された。一つは作家主導で開催されたバンコク・ビエンナーレ(7月1日~9月30日)、次に国が主導するタイ・ビエンナーレ(11月4日:南部のビーチリゾートクラビで開催)、そして民間の企業スポンサーが主宰したバンコク・アート・ビエンナーレ(10月19日~19年2月3日)である。タイは、急にビエンナーレのブームに入ったようだ。

 

私が関わったのは、最後のもので、ディレクターは旧知のアピナン・ポシャナーヤンがつとめたものだ。ギャラリースペースの中心となったのはバンコク・アート・センター(BAC)で、2層のフロアを使い多数の作品が展示されている。ここにはホワイトキューブの空間が続くのだが、最上階はその多くのギャラリーがパフォーマンスに当てられていたのが特徴的だ。最も過激なのはギリシャ人の女性作家 Despina Zacharopoulou で、全裸で横たわる彼女を手袋をはめた手で触るというものだ。同時に出品されていたヨーコ・オノのカッティングピースよりも生々しい暴力性を感じさせた。

 

一方で話題になっていたのは、タイ南部の少数民族の若手作家の出品で、彼らの日常を描いたレリーフが人気を博していた。

 

しかしこのビエンナーレの醍醐味はおそらく多くの仏教寺院を会場にしたことだろう。ファン・ヤンピンなどの著名作家を含む大作が、境内や庭園に設置されていた。また寺院の内部には、故モンティエン・ブンマの作品や、あるいは空間と光をテーマにした大型のインスタレーション、境内の床を白磁の髑髏の彫刻で敷き詰めた作品など、周囲との微妙な関係を結びながら設置された意外性のあるインスタレーションである。また市内のモダンなショッピングモールの吹き抜けには、草間彌生の白いカボチャが14個つり下げられ、強烈な存在感を放っていた。

 

全体の80%以上を見て感じたのは、このビエンナーレがきわめて戦略的に構成されていることだ。一般の観客の目に触れるところには、外国人を含めた現代美術の著名作家の大型作品を設置し、ギャラリー内空間ではタイの若手作家を紹介、寺院の内陣では瞑想的で精神的な作品を配置している。さらに、通常展示に制約が多いパフォーマンスなどをBACのギャラリーで集中的(3週間)に取り上げ、多様な観客がそれぞれ楽しめるように設計されている。

 

平行してゴーストと命名された映像の展覧会を、森美術館のサンシャワー展にも参加していた作家、コラクリットが組織していたので、これも参観したが、その際にコラクリットの意見を求めると、第一回目の国際展は失敗できないのだからアピナンは、うまくバランスを取ってやっている、と論じていた。

 

ゴースト展は国際的なアーティストのラインアップで、主に多数のコマーシャルギャラリーを会場に展開されたもので、これはこれでヒト・スタイレルなど幾つかのシャープな作品が見受けられ興味深かった。

 

さて、今年もこれが最後の連載となる。ほとんど毎月海外に出張し、多様なアートの現状を見てきたが、つくづく感じるのは美学的な基準やアートの定義がこの20~30年でいかに変化したかと言うことだ。それはモダンからポストモダンへと言う単純な話だけではない。グローバルとローカルの問題、科学とテクノロジーの問題、哲学と倫理思想の変化とも深く関係する。普遍的な価値があると思いたい人は多いのだろうが、美はその社会の文化・歴史の過去と現状、他者との関係の中で揺れ動いている。まして人工知能が作り出した絵画がオークションで高額で落札される時代になった。美学とアートを論じるためには、我々の時代がどのような時代なのかを理解する開かれた感性が必要なのではないだろうか。(森美術館館長)

 

パフォーマンスとそれを撮る観客:バンコ ク・アートセンター(BAC)

パフォーマンスとそれを撮る観客:バンコク・アートセンター(BAC)

 


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