[通信アジア]2015 シンガポール国立近現代美術館の開館:南條史生

2016年01月12日 08:00 カテゴリ:コラム

 

シンガポール国立美術館、旧市庁舎と旧高等裁判所の間をつなぐロビー空間

 

シンガポールの国立近現代美術館の開館に出席した。建物は、イギリスの植民地だった時代に建てられたバシリカ型建築の旧市庁舎と、その横に立つ旧最高裁判所の建物を地下三層でつないで、一つの美術館として使うものだ。戦前に宗主国としての威信をかけて作られた、そのスケールと外観デザインは威風堂々たるもので、最近アジアでできた他の国立美術館とは違う、歴史の厚みを感じさせる。

 

この建物には私も思い入れがある。というのは2006年と2008年に開催されたシンガポールビエンナーレのメイン会場だったからだ。2回とも私が総合ディレクターを務めたが、特に1回目はキュレーター共々会場探しに奔走した。そして最終的に政府の許可を取って、この旧市庁舎を、初めて、美術の展示空間として使うことができた。今回、国立美術館に転用・改装することになったのは、この2回のビエンナーレでうまくこの建物を使った実績が大きかったのではないかと思う。

 

内部は高等裁判所棟が東南アジアの近現代美術、旧市庁舎棟がシンガポールの近現代美術の展示場所ということになる。ざっと見たところでは東南アジア美術の開拓者と言える20世紀前半の画家たちの作品、それから戦後に自分たちのアイデンティティーを模索しつつ発展、開花してきた対象地域の美術の名作が結集・展示されて、東南アジアとシンガポール地域の近代現代美術の概要を物語っている。そしてこれによって、シンガポールは東南アジア美術の集約場所となり、入り口ともなったのだ。

 

開幕のレセプションにはリー・シェンロン首相が来て演説した。そこで首相は、ニューヨークに、ロンドン、パリ、東京にはそれぞれ国の歴史と文化を代表する美術館がある。シンガポールはそれをやっと持つことができたのだ、という意味のスピーチを行った。国が成立したのが1965年。彼ら自身が自重を込めて、東南アジアの近代美術なんか、ろくなものがないよ、そんな美術館は誰もこないよ、と言っていたのに、ここにあたらしい歴史が存在し始める。この威容を誇る国立美術館によって、世界の美術史に、あらたな流れが生じ始めた。良くも悪くも、美術や歴史というものは、このように制度と権威と建築がその存在を保証し、可視化していくものなのかもしれない。

 

さて、シンガポールの国立美術館の開幕は、2015年のアジア通信の締めくくりにとっても極めて象徴的だといえるのではなかろうか。アジア経済の発展が目立ち始め、それにつれてアジアの美術が注目されるようになって、20年以上が経つ。そして今、アジアの先進国たちは、自国の威信をかけて、国立美術館を開館させ始めた。昨年は韓国、今年はシンガポール、数年後には中国、香港がオープンする。おそらく他の国も徐々にそれに続くことになるのだろう。それは国の威信をかけたプロジェクトであり、また世界に向かって自分が何者であるのかを伝えようとする存在への希求でもある。

 

このような流れの中で見ると、日本は最も早く国立近代美術館を開館し、全ての県には県立美術館が存在する、ある意味で美術館先進国であった。しかし今の日本の美術館の状況は決して、アジアのお手本でいつづけられるものではない。日本は、アジアの美術の発展に協力するとともに、もう一度、気概を持って日本の美術と美術館、そしてそれに携わる人の教育、振興を考えるべき時が来ているのではなかろうか。

(森美術館館長)

『新美術新聞』2015年12月21日号(第1395号)より転載

 

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