富井玲子 [現在通信 From NEW YORK] : NYの具体回顧展・第一報

2013年03月09日 14:09 カテゴリ:コラム

 

 

元永定正「作品(水)」を掛けわたしたロタンダのインスタレーション    筆者撮影

 

グッゲンハイム美術館で「具体―素晴らしい遊び場所」展がオープンした(2013年2月15日~5月8日)。

 

個人的な話になるが、私は30年ほど前、大阪大学で修士を終えて、テキサス大学博士課程に留学したが、渡航準備の一環として具体のスライドを一式用意した。具体といえば世界的な戦後美術の集団、大阪出身の美術史家の卵が来たのだからトークしてくれ、みたいなことになるのではないかと密かに考えたからだ。しかしながらテキサスにいた4年間そんな話はまったく出なかった。戦後美術を世界史的に考える姿勢もまだなかった時代だ。

 

今思えば私も未熟だったし、あの時具体についてしゃべらなくてよかったと思う。なぜなら「具体はスゴイ」以上のことは言えなかっただろうから。

 

1954年の具体設立から60年余、72年の解散から40年余、具体を学術研究のテーマにする大学院生が日本で初めてでてから30年余(阪大で1年後輩だった尾崎信一郎君)、93年に芦屋市立美術博物館によって大部な『資料集』が出版されてちょうど20年(尾崎君が巻頭論文を執筆)、94年にグッゲンハイムのソーホー分館で開催された「戦後日本の前衛美術」展によりアメリカで具体がまとまった形で紹介されてから20年余。本展の開催までずいぶん長い道のりだった。

 

報道内覧会で挨拶するモンローとティアンポ(右)    筆者撮影

しかし研究はそれだけの熟成期間が必要な作業だ。グッゲンハイムの前衛展が第一波の戦後日本美術ブームを作ったとすれば、本展とMoMAの東京展に代表されるブームは第二波。海外における戦後日本美術史研究者の層に厚みが増したことの証左だろう。その点で、本展の企画が第一波功労者のアレクサンドラ・モンローと第二波を先陣したミン・ティアンポの協働であることは意義深い。

 

何より学問でも展覧会でも、一人の個人の力だけで前進するものではない。今回の企画も、日本と主に北米の関係者・研究者、そしてコレクターなどをも巻き込んだ総力戦。私も本展の企画やカタログに関わることができてラッキーだったとつくづく思う。

 

これまで海外での紹介が「具体はスゴイ」で止まりがちだったのに対し、本展の意義は一歩進めて「だから何なんだ」を提示したことにある。世界にはスゴイ作家や作品はいくらもある。「スゴイ」という素朴な感想の先へ意識をつなげないと世界美術史にしっかりと定位置を確保できないからだ。

 

村上三郎「通過」(写真・大辻清司)と嶋本昭三「作品」(右)    筆者撮影

本展の美術史的意義は、まず従来のタピエによる「発見」を軸にした外因的な前・中・後期の時代区分を排し、具体ピナコテカの設立された62年で分ける内因的な見方で第1、2期に区分し、戦中の全体主義への反省にたった自由への希求を具体の倫理として思想的にとらえる。そこから表現の自由を称揚した第1期、高度成長下の資本主義社会への解毒剤としてテクノロジーやシステムを人間化しようとした第2期という位置づけがなされる。そして具体の国際主義をにらみながらも、西洋的な「絵画」ではなく日本的な「絵」というコンセプトで第1期の実験性を統一理論的に考察した。(次回に続く)

 

 

「新美術新聞」2013年3月1日号(第1305号)3面〈現在通信 From NEW YORK〉より

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